司教執務室だより

6月を民間信心月間に

投稿日:

ajisai最近、信心の大切さを説くことが多いことに我ながら少し気になってきたのでいろいろ調べてみました。すると、中央協議会のホームページで次の文章を見つけました。

「とりわけ司教たちの役割は、信心業については、これを奨励し、司牧上積極的な態度で臨み、信心業の成果がキリストの民の信仰を保つうえで大きな価値があったこと、またあることを評価することにある。」

この文章は2010年の全国典礼担当者会議で、典礼学者のフランコ・ソットコルノラ神父様が紹介されたもので、2001年12月17日、典礼秘跡省から出された指針「民間信心と典礼」の一節。

ともあれ、自分の思い込みではないことがはっきりしてホッとしただけでなく、心強い味方を得たようで嬉しくなりました。神父様の話は次のような文章で締めくくられていました。

「典礼は教会生活の中心です。けれども、花は種だけで生きているのではなく、花びらや葉も広げて生きることを思い出しましょう。信心業は心の花びらです。心が自由に表現される場なのです。信心業は、日々の生活の中で、司祭が不在の場合であっても、信者を生き生きとさせることができるのです。」

典礼が花なら「信心業は心の花びら」。なんと美しい表現かとこれまた嬉しくなりました。最高の典礼であるミサという花を美しく咲かせるためには花びらや葉といったいろいろの信心業が生き生きしていなければなりません。

6月はみ心の月と呼ばれています。啓示を受けた一人の少女から始まった文字通りの民間信心が「イエスのみ心」の祭日として教会全体で祝われるようになりました。ですから、今月は、「民間信心月間」として、これまで以上にロザリオはもちろん「ノベナの祈り」や聖体礼拝、その他の信心業に励んでほしいと思います。

お勧めの記事

中野裕明司教の紋章 1

約3年間の地上での宣教活動で発信されたイエスのメッセージの主旨はただ一つ、それは「あなたたちが信じ礼拝している神は、わたしの父であり、また、あなたたちのお父さんである」ということです。

中野裕明司教の紋章 2

人祖アダムの罪(原罪)の傷を負った人類は、あるいは、洗礼によって、原罪から解放された信者であっても、自分の責任で犯す神の十戒への違反は神から赦される必要があります。そうしないと、その人は一生、自己矛盾の中で苦しむことになります。

中野裕明司教の紋章 3

「幼児洗礼」と「成人洗礼」という二つの洗礼のかたちは、「親子愛」と「隣人愛」の関係で捉え直すことができるのではないかと思います。つまり、幼児洗礼を親子関係で、成人洗礼を隣人関係で捉えるという事です。

中野裕明司教の紋章 4

ミサでキリストの体をいただく信者は皆、キリストの体を形成している、という事です。1943年、教皇ピオ十二世は「キリストの神秘体」と題する回勅を発布し、当時の教会論の基礎に据えました。聖体拝領する信者はその度ごとにキリストを救い主とする信仰共同体を形成していくのです。

中野裕明司教の紋章 5

イエスの極めつけの言葉を送ります。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」(ヨハネ6・27)

-司教執務室だより

Copyright© カトリック鹿児島司教区 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.