司教執務室だより

夢は「ほのぼの家族」の展開

投稿日:2014年2月1日 更新日:

昨年十二月、神学生対象にMEの紹介をさせてもらった時のことだ。神学生と言っても、大学を出たばかりの哲学生から五十代の助祭まで年齢の違いは大きい。

二日目、ミサ後の朝食、向かいに座ったのは、まさにそんな組み合わせの哲学生と助祭。二人の会話の内容は記憶にないが、哲学生は話が好きな末っ子で、隣の助祭は寡黙な長男。大家族を描いた映画のワンシーンを思わせるようなほのぼのとした光景に心が和んだ。いつも生活を共にしている神学生や養成者たちには見慣れた光景だったかもしれないが、初めての私にはとても印象深く新鮮だった。

悪気のないおしゃべりが奔放に飛び交い、うるさがる者もなく、アットホームで静かな空気が流れ、穏やかに一日が始まる。少し大げさだが、「あ、ここに神の国がある」と素直に思えた。ホンのひと時を共にしただけの感想だが、初めて訪ねる者にとっては第一印象が大きな意味を持つ。

ところで、アットホームと言えば、新年の年頭書簡は祈りの雰囲気に満ちた家庭づくりへの招きだったのだが、何人かの方から肯定的な感想をいただいて嬉しかった。家庭にしろ、小教区にしろ、私たちはイエス様の名のもとに集められた神さまの家族だから、たとえ、家族で一人だけが信者だとしても、目指すべきはあのほのぼのとした家族の風景に違いない。「あ、ここに神の国がある。」そんな感想を自分の家庭や小教区に持つことができたらと思う。

確かに、ため息をつきたくなるような現実の方が多いかもしれないが、そうであればなおのこと、信仰の眼をいっぱいに開いて、我が家の神の国、我が小教区の神の国を探そうとすることが大切ではないかと思う。

訪ねてくる人をいつでも和ますことのできる神様の『ほのぼの家族』が教区中に広がりますように。遅すぎた初夢?

お勧めの記事

中野裕明司教の紋章 1

約3年間の地上での宣教活動で発信されたイエスのメッセージの主旨はただ一つ、それは「あなたたちが信じ礼拝している神は、わたしの父であり、また、あなたたちのお父さんである」ということです。

中野裕明司教の紋章 2

人祖アダムの罪(原罪)の傷を負った人類は、あるいは、洗礼によって、原罪から解放された信者であっても、自分の責任で犯す神の十戒への違反は神から赦される必要があります。そうしないと、その人は一生、自己矛盾の中で苦しむことになります。

中野裕明司教の紋章 3

「幼児洗礼」と「成人洗礼」という二つの洗礼のかたちは、「親子愛」と「隣人愛」の関係で捉え直すことができるのではないかと思います。つまり、幼児洗礼を親子関係で、成人洗礼を隣人関係で捉えるという事です。

中野裕明司教の紋章 4

ミサでキリストの体をいただく信者は皆、キリストの体を形成している、という事です。1943年、教皇ピオ十二世は「キリストの神秘体」と題する回勅を発布し、当時の教会論の基礎に据えました。聖体拝領する信者はその度ごとにキリストを救い主とする信仰共同体を形成していくのです。

中野裕明司教の紋章 5

イエスの極めつけの言葉を送ります。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」(ヨハネ6・27)

-司教執務室だより
-, ,

Copyright© カトリック鹿児島司教区 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.