ザビエルの辿った道

門田明氏の鹿児島とキリスト教④

これまで、ザビエルを日本に案内した鹿児島人ヤジロウのことなど話してきた。今回はキリスト教を初めて日本に伝えたザビエル本人の生涯を、簡単に辿ってみたい。

ザビエルについては、鹿児島純心女子短大の学長であった故河野純徳神父が書かれた2冊の優れた書物『聖フランシスコ・ザビエルの全生涯』『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』があり、詳しい知識を得ることができる。それによるとザビエルは、スペイン東北部にあったナパラ王国のザビエル城で、1506年4月7日に誕生した。今年は生誕500年にあたる。

19歳のときパリ大学に入りラテン語と哲学を学ぶが、この間、イグナチオ・ロヨラと知り合い、28歳のときロヨラを中心に同志と誓願を立て聖職の道に入った。1538年、教皇に、宣教のため世界のどこにでも行くと決意を表明、41年リスボンを立ち、翌年ゴア着。ここを中心に周辺の島々を巡り宣教活動に励んでいたが、47年12月、マラッカで鹿児島の若者ヤジロウに会い、日本宣教を志すことになった。

こうして1549年8月15日、ヤジロウの案内で鹿児島に上陸、9月29日には伊集院で領主島津貴久と面談、宣教の許可を得ている。が、更に日本全土福音化の夢を燃やし、翌年京都に向かった。天皇から全国宣教の許しを得ようとの願いであったが、戦乱で荒廃した都では何の成果も上げることもできず、一旦平戸に戻り、今度は進物を携えて山口を訪れ、領主の許可を得て宣教に励み、2か月で500人の信者を得た。

その後大分を出航しいったんゴアに帰るが、その問、中国宣教の夢を持ち、52年8月広東省上川島に上陸、中国本土に入る機会を待つうち熱病にかかり12月3日帰らぬ人となった。不便な交通の当時、ほとんど世界半周を果たした「ザビエルの道」は、まことに立派な世界文化遺産ではないかとつくづく思う。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)

鹿児島カトリック教区報2006年8月号から転載