シドッチ神父とキリシタン奪国論

シドッチ神父が屋久島に上陸したのは1708年10月10日、40歳のときであった。日本行きを命じられてから5年がたっていた。1ヶ月後の11月9日、長崎に護送されて長崎奉行の取調べを受け、翌1709年、江戸に移されて、6代将軍家宣の特命を受けた新井白石の取調べのあと、捕囚として小石川のキリシタン屋敷に幽閉され、1715年11月27日、47歳で獄死した。

なぜ、屋久島に上陸したか

sidotti当時、鎖国状態にあった日本で唯一長崎港が外国船に開かれてい たが、シドッチ神父は長崎を避けて屋久島に上陸した。一体なぜ。当時の密航者はすべて長崎に送られて取調べを受ける決まりであったのだが、長崎行きを頑強 に拒んだことや、長崎ではオランダ人通訳をこれまた頑強に拒んだ事実を見れば、シドッチ神父が当時敵対関係にあったプロテスタントのオランダ人の妨害を恐 れていたからだということは明らかである。
なお、シドッチ神父は屋久島上陸の直前、乗ってきたスペイン船トリニダード号で友人宛に一通の手紙を書いたが、署名のあとに「種子島において」とあるので、種子島と間違えて屋久島に上陸したことは確かだろう。

シドッチ神父、キリシタン奪国論の疑いを晴らす

ま ず、シドッチ神父の命がけの願いにもかかわらずキリシタン禁制は解かれなかった。白石は書いている。「キリスト教の社会秩序に与える影響は好ましくない。 キリスト教の神が君父の上にあるとすれば、君を軽んじ、父を軽んずることは必定で大変なことになる。それにわが国民は異教を信じやすいときている。従っ て、キリスト教を厳しく禁じることは、決して過剰防衛にはならない」。

キリスト教の「超越的人格神」を認めることが、かえって君主や父親の権 威を高めることに白石は思い及ばなかった。「神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものです」(ローマ13,1)と聖パウロ は言っている。人間は本質的に平等であるから、神から権威を授けられなければ、人の上に立ってこれを指導し、これに命令を下すことはできない。たとえば、 命の創造者である神の協力者として子供を産んだ両親は、そのこと自体を通して子育てに必要な「教育的権威」を神から授かるのである。

ここで注 目しておきたいのは、シドッチ尋問の結果、白石が「キリシタン侵略説」または「キリシタン奪国論」の誤解を捨てていること。キリシタン奪国論とは、キリス ト教の発展を妬む人々が幕府に進言した議論だが、白石はそれを否定して記している。「シドッチは、一国の侵略的であるか否かは宗教によらず、人にかかると 言ったが、まさにそのとおりで、キリシタン宣教師がわが国に来るのは、キリスト教を広めるためであって、従来わが方が信じ込んでいるように、わが国を奪い 取るためではない。そのキリスト教の本意ならびにその地勢等を考えれば、日本を奪うという謀略などあり得ないであろう」。

次回は、シドッチ神父が日本の近代化にどんな影響を与えたかについて述べてみたいと思っている。

—————2006年11月30日付糸永真一司教のブログ「折々の想い」から転載