「教皇フランスコ訪日講話集」(カトリック中央協議会 2020年1月25日)のはしがきで菊地功東京大司教は次のように書いています。
「わたしたちは、薄っぺらな言葉が飛び交う時代に生きています。深く考えることもなく、反射的にデジタルの世界に飛び出していくさまざまな言葉。その多くの言葉が仮想現実の波間に消えていくことが、そういった言葉の背後に何ら信念も価値観もないことを示しています。そういった言葉が飛び交っている世界だからこそ、確固たる信念に基づいたいのちの『言葉』は、暗闇に輝く一筋の光のように、多くの人の心に突き刺さります。」(上掲2ページ参照)
人間のいのちを3つの観点から考察
今回は、教皇の指摘する「すべてのいのち」について考えてみます。「すべてのいのち」は地上のすべてのいのちを指しています。しかし今回は、人間のいのちに限定して論考します。
日本語の「いのち」は英語では3通りの単語で表現します。すなわち①生命、②生活、③人生です。
Life(ライフ)という語が原文に出てきた場合、翻訳者は文脈によって上記の3つの単語を選択しなければなりません。
それぞれの「いのち」について考察します。
①生命
これは文字通り、生物学的な用語です。聖書では人間の命は神からのものです。「主なる神は、(中略)アダムを形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」(創世記2・7)とある通りです。従って教会は、「生命は妊娠した時から細心の注意をもって守護しなければならない」(現代世界憲章51番)と宣言しています。1994年に開かれた国連の人口会議で、女性の産まない選択を認める権利が認められたようです。しかし、妊娠は男女が二人で協力して初めて実現する出来事なので、平等な立場で幼い生命の尊厳について熟慮すべきであります。
②生活
今回の新型コロナの災禍で、人の命と経済のどちらを優先すべきかの議論が展開されました。緊急事態宣言を出して人の命を守るといいますが、そうすると経済が打撃を受け、生活苦による自殺者の増加の要因になる、というものです。確かに経済活動は、いわば体全体をめぐる血液のようなものなので、生命にはなくてはならないものです。しかし、一方でイエスの言葉も響いてきます。
「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また、自分の体のことで何を着ようかを思い悩むな。命は食べものより大切であり、体は衣服よりも大切ではないか、(中略)あなた方の天の父は…養ってくださる」(マタイ6・25~26)。
自分の命は、本当は誰によって支えられているのか考えましょう。今回のコロナ災禍で如実になって真実は、経済を支配する者が政治を支配し、そして人の心まで支配してしまうということではないでしょうか。
③人生
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。私を通らなければ誰も父のもとに行くことはできない」(ヨハネ14・6)と。
新型コロナ感染防止のために出された緊急事態宣言のモットーは“Stay Home”(家から出るな!)でした。宣言解除後では、“Stay at Home”(家に居なさい)に変化しました。ところで、聖トマス・アクイナスは上記のイエスの言葉の注解として、“Stay close to Christ,because he is the way”「イエスの近くに居なさい。彼は唯一の道だから」と言っています。
因みに、イエスが「私は道、真理、命」と言うときのギリシャ語原文にはそれぞれ定冠詞がついています。従って、本来なら、私は唯一の道、唯一の真理、唯一の命、と訳すべきなのです。
教皇フランシスコの意向に沿って、すべてのいのちを守れますように。