キリストの福音上陸の地・鹿児島

司教の手紙 ㉖ イエスの復活と空(から)の墓

投稿日:2021年3月28日 更新日:

教区の皆さま、主イエスのご復活おめでとうございます。

信仰の核心であるイエスの復活の意味

今回は、私たちの信仰の核心であるイエスの復活の意味についてお話いたします。

ご存じのようにイエスの復活の最初の証言は「空になった墓」の報告でした(ヨハネ20・1~10参照)。イエスの遺体を収めたはずの墓が空になっており、遺体が見当たらない、というものでした。

私たちは習慣として葬儀の際、遺体の周りにたくさんのお花と、個人が生前身に着けていたものや、記念になるものを添えます。それは、お別れする故人の思いと、見送る人たちの思いを一つにして、一緒に持って行ってもらおうという思いの表れだと言えます。

イエスの場合はどうだったでしょうか?

罪人として十字架刑を言い渡されたわけで、イエスを亡き者にしようとしていた人々にとっては、イエスは憎き存在であり、その存在と名声までも、棺に詰め込んで、この世から永久に葬り去りたいと望んでいたに違いありません。

私たちは、聖週間の典礼において(受難の主日と聖金曜日)イエスの受難の物語の全部を朗読します。それは、人間は、どのようにして、罪のない一人の人間を有罪にして、死に至らしめたのかを黙想するためです。今から、それを検証していきます。

イエスの受難の過程を検証すると‥‥

①「ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」(マタイ12・14)。イエスは3年間の宣教活動中、ユダヤ教の指導者たちと激しい論争を繰り返しました。それはモーセの律法についての解釈の違いについてでした。論争に負けたと思われるファリサイ派の人々はイエスを殺すほどの憎しみに駆り立てられたことが分かります。論争で決着しないなら、暴力に訴えるという人間の性がここに見られます。

②「そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕え、殺そうと相談した」(同上26・3~4)。イエスを殺害しようとした人たちは、当時のユダヤ教のいわゆる既得権益を持っていた人々だったということが分かります。

③「その時、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、『あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか』と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた」(同上26・14~16)。ユダのこの裏切りは、今日では、人身売買に当たると思われます。当時、銀貨30枚は成人奴隷の価格だったと言われています。

④「『確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる』。そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた」(同上26・73~74)。イエス生前、あんなに親しくしてもらっていたイエスのことをこの場に及んで「知らない」と否定してしまったペトロ。この人間的弱さも、罪のない一人の人間に襲いかかる暴力に加担してしまうことになりました。

⑤「明くる日、(中略)祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。『閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令して下さい。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。」(同上27・62~64)。イエスを殺害した人々の恐怖心はイエスの死後も続いているようです。このような行為は、今日では、工作活動と言えるのではないでしょうか。

⑥「祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて言った。『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。(中略)兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした」(同上28・12~15)。彼らの行動は、今日的には、隠ぺい、捏造、買収、と言えるのではないでしょうか。ただ、墓が空になっている事実だけを弟子たちに報告した婦人たちとは大違いです。

空(から)の墓の出来事は神のわざ

結論を申しますと、イエスを収めた墓までの記録は、罪深い人間のわざと言えるし、空の墓からの出来事は、神の働き、神のわざであると言えるし、そのように私たちは信じています。良き復活の証人となれますように。

鹿児島カトリック教区報2021年4月号から


メモ

マタイ26章 イエスを殺す計略

新約聖書(新共同訳聖書)へ

 

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