キリストの福音上陸の地・鹿児島

司教の手紙 ㉛ 家族の中の夫婦愛

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教区の皆さまお元気でしょうか。今回は家族の中の夫婦愛についてお話します。申すまでもなく、家族は結婚した一組の男女によって誕生します。つまり夫婦は家族の屋台骨であります。夫婦は一心同体が理想とされ、仲の良い夫婦は人々の称賛を浴びます。そして、夫婦円満の秘訣を知りたがります。

そこで今回は ①「結婚前の心構え」、②「奮闘中の夫婦愛」、③「秘跡としての結婚」についてお話したいと思います。

結婚前の心構え

ここ20~30年来、若い人々の結婚観に変化が見られます。以前は、婚約、結婚式、出産の順序で進んでいましたが、最近では、妊娠(出産)、結婚式の順序で進む例が目立ちます。そこには、家族は社会の最小単位であるという伝統的価値観から離れて、個人的な事柄であるという考え方や、激動する社会の中で、仕事と家庭の両立が難しい、という現実もあると思われます。

結婚を難しくしている現実があることは確かですが、それでも結婚しようとしている人たちはいるわけですから、教会はそのような人たちが幸せな結婚生活を送れるように最大の援助を惜しまないことは大切な使命であります。

そこで、結婚式で交わす「誓約」についてお話します。

教会の結婚式では、夫婦になる2人は、神と人々の前で、お互いに向かって誓約を交わします。多くの人にとって誓約は、神と人々に誓約を交わしていると思われていますが、実は、配偶者に向かって誓約しているのです。神と参列している人々(司式者も含めて)はそのことの証人なのです。従って証人の使命としては、将来、この2人に離婚問題が生じた時には、結婚式での誓約を思い出すように促し励ますことがあります。

他方、結婚は「契約」でもあります。これは民法上不可欠なもので、婚姻届がなければ、法律上の恩恵は受けられません。人間には、精神的な面と身体的な面があります。教会の式で交わす「誓約」と社会の中で、責任と義務を果たすための「契約」があって初めて、充実した結婚生活が営まれるのです。

奮闘中の夫婦愛

「夫婦は二心二体である」とか「元を正せば、赤の他人」という表現で、夫婦の実情がよく語られます。私もこれらの表現に賛成します。聖書の表現によれば、「最も近い、隣人」であるとも言えます。最も愛すべき人が、最も身近にいるという現実は、「敵をも愛せよ」というイエスの命令を実行するに等しいものであると思います。この意味で、独身の私は、夫婦の方々を尊敬しています。

教皇フランシスコは使徒的勧告「愛のよろこび」の中で、聖パウロの「愛の賛歌」(1コリント13・4~7)を取り上げ、「夫婦が二人で、また子どもたちとともに日々を過ごす生活の中で、経験され、深められます」(同上83ページ)と語りかけ、詳しい語句の解説を施しています。是非皆さんお読みください。

メモ

使徒的勧告「愛のよろこび」

社会や環境の急激な変化、個人主義の台頭、人間の関係性の希薄化や変貌などによって、価値が揺らぎ危機に瀕している「家庭」と、それを築くための根本である「結婚」。そうした現代の危機への認識から出発し、聖書、そして教会諸文書が何を教えているかを再確認したうえで、社会の最小単位である家庭の不変の価値を、過去の教会の独善的ですらあった姿勢に対する反省を伴いつつ説く。愛と性のキリスト教的理解の指針。>>>カトリック中央協議会のページ

秘跡としての結婚

結婚は先に見たように必ずしも人間に幸福をもたらすものではないことは事実です。それは神が制定なさった神聖な制度そのものに原因があるわけではなく、それを営む人間の側に要因があることをわきまえる必要があります。

結婚がもたらす喜びや生きる希望など、何物にも代え難い恵みをもたらすものですが、人間の犯す罪がそれらを台無しにしてしまいます。それでも、教会は、傷ついて損害を被った結婚生活を修復し、元の姿に変えてくださるように、結婚をキリストとの出会いである秘跡の場として高めたのです。このキリストと出会い、キリストの助けを得られる秘跡は、叙階の秘跡と同じく、「交わりと使命を育てる」秘跡として、カトリック教会のカテキズムでは紹介されています。

最後に、あるご婦人のお話を紹介します。この方は、成人洗礼ですが、受洗前に夫にその許可を願ったところ、「俺とキリストのどっちを愛しているのか?」と問われました。そこで彼女は「あなたをもっと愛したいので、受洗したい」と答え、受洗の許可をもらいました。以来、彼女は、義父と義弟、それに自分の両親のお世話をしました。そして50代半ばで病魔に襲われ亡くなりました。

生前彼女は私に話していました。

「神父様、離婚したいと思い始めた時から、結婚は始まるのですよね?」と。私は、カトリックの結婚観を正されていると感じると同時に、洗礼の秘跡は結婚を秘跡にすることを教えてもらいました。

鹿児島カトリック教区報2021年9月号から転載

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