鹿児島教区司教 中野裕明
教区の皆さま、お元気でしょうか。カトリック教会は春爛漫のこの月を伝統的に「聖母月」と呼んで、特別にマリアさまへの崇敬を表しています。典礼暦では、丁度50日間に及ぶ復活節中に当たるので、マリアさまを通して、復活の主イエスを称える事にもなります。
聖母マリアに対する崇敬と信心
さて、今回は聖母マリアに対する崇敬と信心についてお話しいたします。聖母マリアへの崇敬と信心が公式に始まったのは、エフェゾ公会議(431年)以降です。マリアのことを「キリストの母」であると主張していたネストリウス派に対して、公会議は、マリアに「神の母」の称号を与えました。この二つの称号の意味の違いは以下のようになります。
つまり、ネストリウス派は十字架で苦しみを受けたのはキリストの人性であって、彼の神性は苦しまなかったと主張していました。一方、公会議派によると、キリストは真の人であり、真の神である。「キリストの受肉の時に神性と人性が神秘的で素晴らしい方法で唯一の位格に結合し、イエス・キリストになった」と主張し、これが正統信仰となりました。つまり、マリアは人間の身分でありながら、神の子イエスの母となられたので神の母であることが相応しいという意味です。
ところで、教会によるマリアの「神の母」宣言によって、文明史家たちは、それまで人々の間で美の象徴であった、ギリシャ神話のヴィーナスが持つ美と女性の理想像が聖母マリアに移行したことにより、それまで野蛮だった道徳的価値が高められたと指摘しています。具体的には、西欧において女性の純潔と母性の価値観が受け入れられ、広められたことを意味しています。
聖書に描かれている聖母マリア
次に、聖書に描かれている、聖母マリアの姿を思い出しましょう。
- 信仰による受託
マリアは神の子を宿すことになるという大天使のお告げに対して、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1・38)と答えました。この神に対する「はしため」としての身分の自覚とその御旨に対する従順は、神と対等の身分となり、御旨に反した行動をとった、人祖エバと好対照をなします。(創世記3・6、26参照) - 神の摂理を観想する態度
「しかしマリアはこれらの出来事をすべて心に納めて思い巡らしていた」(ルカ1・19)
イエスの誕生の次第は、人間の常識をはるかに超えたものでした。物事が自分の思い通りにいかないとき、聖母マリアの観想する祈りを見習いたいものです。 - 十字架のイエスと心を一つにすることで皆の母となる
「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい、あなたの子です。』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい、あなたの母です。』その時からこの弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」(ヨハネ19・26~27)
私たちの罪を贖うためのイエスの十字架上での死に、母マリアは心を一つにして寄り添います。この行為を見てイエスは自分の母を、弟子のヨハネに委ねます。
ある聖書学者によると、この文章の構図は、あたかも任命式であるかのようだと指摘します。弟子に向かって自分の母親の面倒を依頼するとの個人的な依頼ではなく、自分の母親をあなたたちの母として与えるという意味でありましょう。
別の意味では、マリアは肉体的母から、精神的な母になることによって、すべての人の母親になれるという事でもあります。 - 「彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上った。それは、ペトロ、ヨハネ、アンデレ、フィリッポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちや、イエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」(使徒言行録1・13~14)これはイエスの昇天から、聖霊降臨までの弟子たちの様子です。この文章には初代教会の構成メンバーがよく表れていますが、その中に、イエスから選ばれた弟子たちの次にしっかりとイエスの母マリアの名が明記されています。このことは、初代教会の誕生の場面から、聖母マリアは使徒たちと信者の群れの中に、静かに、しかも確実に祈りと共に歩んでいたということが分かります。
”司教シノドスの実り”聖母マリアの取次ぎを願う
ところで、2018年2月11日、教皇フランシスコは、教会の誕生日となる聖霊降臨の祭日の翌日の月曜日を「教会の母聖マリア」の記念日に定めました。それは聖母マリアが各信者の個人的な信心の対象であるだけではなく、使徒の後継者である教皇と司教団、司祭団、奉献生活者、信徒で構成される神の民の全体の母である、という捉え方であります。
先日、教皇庁より、5月31日の「聖母の訪問」の祝日に全世界の聖母の巡礼地と各教区の聖母に捧げられた教会で、特別の祈りを捧げてほしいとの要請の手紙が届きました。目的は今秋バチカンで開かれる「第16回通常司教シノドス」の成功のためです。
全世界の教会のために開かれる司教シノドスが実り豊かなものとなるよう、教会の母聖マリアの取り次ぎを神の民に願うことは誠に相応しいことであると思います。