教区の皆さま、お元気でしょうか。
今回から本年の教区目標の解説をシリーズで行います。まず、用語の説明をいたします。
福音とは 神がもたらす「良い便り」
•「福音」とは、神がもたらす「良い便り」のことです。
ところで、ミサ聖祭では必ず、福音書が朗読されますが、福音書を朗読できるのは、助祭と司祭に限られています。そして、会衆は、それを起立して聞かなければなりません。それは、「ミサの中で福音書が朗読されるとき、イエス自身が語っておられるから」と典礼神学が教えているからです。会衆はそれを実感するのです。
ミサ中に読まれる朗読箇所は典礼暦で決められており、司式者は自分の嗜好で朗読箇所を変更できないことを意味しています。なぜなら、典礼の中で、今日、この瞬間、この場所でイエスが私たちに重要なメッセージを語られるからです。
重要なメッセージとは、典礼暦(待降節、降誕節、四旬節、復活節、年間)で示される意味を理解し、その精神に沿って、私たちが信仰生活を送るためのものです。
聖書の朗読を通してイエスの生涯を典礼で繰り返すことによって、私たち自身がイエス・キリストの姿に変容させられるのです。典礼の目的は実はそこにあります。その意味で、マルコ福音書の冒頭の言葉は意義深いです。
「神の子イエス・キリストの福音の初め。」(マルコ1・1)
これはイエス・キリストこそ私たちにとって「福音」であるという事です。ミサの中で私たちはイエスと出会います。その事自体が私たち信者にとって福音(良き知らせ)であります。
宣教とは 宣べ伝える
•「宣教」(ケリュグマ)とは、ケリュッソー(宣べ伝える)というギリシャ語の動詞の名詞形で、告知とも訳されます。
この言葉のイメージは、いわば勝利宣言とも言えるものです。大昔、戦の勝利を自陣に伝達した伝令使を想起すれば分かりやすいと思います。
ところで、聖パウロは次のように言っています。
「信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がいなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。」(ローマ10・14〜15)
つまり、福音は、宣べ伝えられて(宣教されて)初めて効果が生じるという事が分かります。
教会とは 神によって呼び集められた集会
•「教会」とは、ギリシャ語のエクレシア(〜から呼び集められた集会)の邦訳です。つまり神によって呼び集められた集会を指しています。
そしてそこに集まっている人たちのことを「神の民」と言います。正確を期すならば、旧約の民に対して、新約の民のことを言います。(「教会憲章」2章9番参照)
因みに日本語で「教会」というと、普通、建物のことを指しますが、より本来的には、「キリストによって建てられた新しい神の民」という神学的な意味を持っています。この点については「ペトロの第一の手紙」2章1〜10節を精読なさってください。
教区の小教区(教会)は、当たり前ですが、信者数や建物の規模でそれぞれ特長があります。しかし、そこでミサ聖祭が執行されている限り、本質的には同じ信仰共同体なのです。
ミサ聖祭へ人々を招き入れ、そして、そこから派遣されていく。福音(キリスト)が私たちの働きによって、教会を中心に巡回していく。私たち信者の働きで、教会がその様に変容していくことこそ、「福音宣教する教会づくり」であります。