「緊急事態宣言」解除後の教区の対応について
小教区主任司祭
信者の皆さま
十 主の平和
皆さまいかがお過ごしでしょうか?周知のとおり、5月14日、政府は「緊急事態宣言」を39県に限り解除しました。鹿児島県もその39県に入っています。
この機会に、教会としての今後の対応について、一緒に確認をしていきたいと思います。
先日、教区本部の方から、各小教区に対して、「公開ミサの実施状況についてのアンケート」を実施いたしました。ご返答くださった皆さまに感謝いたします。
わたくしは、鹿児島の司教として、教区内のすべての小教区の聖堂の規模や信者数は大体把握しています。従って、集会に当たってはウイルスの感染拡大を防ぐための行政の指示に従って3密(密集、密接、密閉)の回避をこれまでもお願いしてきましたが聖堂の規模と人数の密度もおおよそ想像がつきます。従って、緊急事態宣言が解除された後でも有効な指針であると思います。
アンケートの回答を見ますと、主日のミサの回数や方法など、各小教区で工夫を凝らした取り組みがなされていると思います。
「信仰の見直し」について
さて、私は今、みなさんに、信仰者として「信仰の見直し」についてお話したいと思います。今回のこの「コロナ騒動」で皆さんの信仰はどういう風になったのでしょうか?
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- 主日のミサに与からなくていいので楽になった。
- ミサがなくてもあっても私の信仰は変わらない。
- 主日のミサが義務だとは知らなかった。
- ミサがなくてミサの大切さがわかった。
- 元来ミサはさぼりがちだったので余り関係ない。
- ミサがないと、ミサに行く習慣がなくなりそう。
- ミサがない代わりに、スマホやネットで、ライブ配信ミサを見ている。
- 家庭でロザリオを唱えている。
- 「聖書と典礼」を読んで黙想している。
最後に質問ですが、各教会でのミサの対応は、主任司祭は独りで決めましたか?あるいは、信徒の皆さんとか、役員の方々と相談して決めましたか?
価値観の変化がありましたか?
以上は信者の教会生活に関する質問でしたが、今度は、これから生活していく上での価値観の変化があったかどうかについてお尋ねします。
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- 今回の騒ぎは、神の罰である。
- 自分にとって不要不急の用事とは何かを考えるきっかけとなった。
- 仕事に行けなくて、経済的に困窮した。
- 家族の会話が増えた。逆に人間関係が悪くなった。
- 自分さえ助かればいいとの観点で、感染者を侮蔑した。
- カネ、モノ、人が地球規模で行き渡るグローバリゼーションは結局幻想だった。
- 教皇フランシスコが強調している、創造主である神のみ旨に沿った自然開発と地球資源の分配の意味が身にしみてわかった。
- この騒動で強欲資本主義と拝金主義の正体が顕わになった。
- この騒動に及んでも自分の信仰は意味をなさなかった。
- この騒動のなかで自分の信仰は精神的な支えになった。
最後に、励ましのことば(エール)を送ります。
【私たちはコロナウイルスを恐れることなく、神を畏れます】
「神を畏れることは知恵の初めである」(シラ書1,14)からです。
2020年5月15日
鹿児島教区長
司教 フランシスコ・ザビエル中野裕明
【教区通達第6弾】新型コロナウイルス感染者拡大防止についてのダウンロードはこちら