門田明氏の鹿児島とキリスト教②
前回は、キリスト教日本伝来の序論として、景教の東洋伝来について語った。そして、景教の中国伝来によって、キリスト教のほのかな香りが、ひょっとすると日本にまで漂ったかもしれないというような空想で話を終えた。
さて、掛け値なしに、本当の意味で日本にキリスト教を伝えたのは、フランシスコ・ザピエルである。多分これに反対する人はいないと思う。そして、このザビエルを日本に家内したのは、鹿児島の若者ヤジローであった。
ザピエルは、ナパラ王国で1506年4月7日に生まれた。青年期パリ大学で哲学修士の学位をとり、哲学の講義を担当するが、28歳のときイグナチオ・ロヨラと出会い、大回心し司祭の道を歩み始める。35歳のときリスボンを発ち、インドのゴアを拠点にして、遠くモルッカ諸島に至るまで宣教に明け暮れる生活を送った。
1547年、マラッカでヤジローに会い、日本宣教を決意し、1549年8月15日鹿児島に上陸した。一年ほど鹿児島にとどまり、後に全国宣教を志し、平戸、山口など経て京に上るが、戦乱の京でなすととろもなく、再び平戸、山口、そして大分を経てインドに帰った。その後中国入りを志すが、1552年上川島で病死した。46歳であった。
一方、ヤジローの略歴は次のようである。年齢は35歳くらいであったというが、何か事情があって人を殺(あや)め、夜陰に乗じて山川港から海外に逃れようとする。とごろが船を間違える。たまたま、その船の船長がザビエルの友人で、ヤジローの告白を聞き、高徳の神父、ザビエルに会って相談することを勧める。ヤジローもその気持ちになり、1546年マラッカに入るがザビエルは不在。帰国しようとしたが嵐で失敗。再びマラッカに帰り、1547年ザビエルに会う。ザピエルはヤジローにあって大いに喜び、彼をゴアの神学校に学ばせ、その案内で、上述の通り1549年鹿児島に渡来することになる。
近年、このヤジローについて2冊の本が出版された。岸野久『ザビエルの同伴者アンジロー』(吉川弘文館)と新村洋『天文十八年』(高城書房)である。これらを参考に、もう少しヤジローを取り上げたい。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)
鹿児島カトリック教区報2006年6月号から転載