キリストの福音上陸の地・鹿児島

教区シノドス これからどう進む—②

投稿日:2020年9月30日 更新日:

教区シノドス推進会議事務局・長野宏樹

私たちのめざす小教区の姿

シノドス提言書の表紙には「全員参加の共同体をめざして」という司教様の目標が提示されています。私たちが目にしている共同体の具体的な姿は「小教区」です。目指す小教区共同体とはどんなものかについて、アジア司教協議会連盟作成の資料を参考に考えてみたいと思います。

小教区の主任司祭は、多くの任務を担当しています。仕事量が多いだけではなく、さらに「新しい小教区づくり」のためのさまざまな努力も続けています。

現在の小教区の現状や組織が現代に生きる私たちの感覚や生活様式などと調和しているのか、もしそうでない面があるならどう変えていくべきか、と摸索したり、試みたりしながら、さまざまな努力を行っています。

そこで私たちも、主任司祭たちの努力を無にしないために、私たちの小教区がこれから進むべき方向や目標などを一緒に考えていきたいと思います。

このシリーズでは、「小教区像」を5つのタイプに分けて提示していく予定です。提示される5つの状況を小教区の信徒と司祭で一緒に確認し合いながら、自分たちの小教区の現状を全体的に把握するためのお手伝いができれば、とりあえず所期の目的は果たせるものと考えています。

これから数回にわたって、さまざまな小教区の姿を提示していきます。そこで、それを基にして、それぞれの小教区で、自分たちに現在欠けているのはどんな点なのかを共に確認し合いながら、自分たちの小教区が「宣教する小教区」に変化していくためには今後どうしていけばいいか、を共に模索していただければ幸いです。

まず最初は、「主任司祭中心の教会」の姿をながめてみることにします。

 1.主任司祭中心の教会(別の言い方は「食べさせてくれる教会」)

主任司祭中心の教会

(1)主任司祭の働き

上の絵は、主任司祭が中心的な働きをしている小教区の姿を表しています。

すべてを計画するのは主任司祭の仕事で、ミサの時間を決めたり、その準備をしたり、ミサ後のお知らせをしたりします。在宅や入院している病人を訪問するのも、彼の務めです。彼はまた告白を聞き、結婚式を司式します。人々は問題をかかえて彼のもとに出向き、助言を求めます。小教区のことで何か知りたかったら、何でも知っている彼に聞けば分かります。

主任司祭には多くのことが期待されているのに、彼にはそれに応じることができないことも多々あります。あまりに多くのことがあるので、そのすべてを果たそうと努力すればするほど、疲れてしまうのです

(2)信徒の態度

この絵に描かれた小教区の、信徒の動きを見てみましょう。家族連れ、あるいは二人が一組になってミサに行きます。一人で来る人もいます。彼らをつなぐものは、共通の信仰です。共に聖堂に立ち、「主よ、私たちの祈りを聞き入れてください」声をそろえて祈ります。また、普遍(カトリック)教会や自分たちの小教区のための、共通の忠誠を分かち合います。

信徒たちは、主任司祭が自分たちのリーダーだと認めています。罪の赦しや救霊のために必要なものをいただくことができる、この小教区に属しているのは幸せだ、と思っています。日曜日にはミサにあずかり、聖体をいただきます。告白場へ行けば、司祭を通して罪のゆるしを受けることができます。その他の秘跡もすべて受けることができます。また、誰かに物的援助が必要であれば、それが満たされることもあります。

信徒のこの「受身的」な態度は、旧教会法の規定に忠実に従ったものです。旧教会法では、一般信徒には、聖職者から霊的なものや罪のゆるしのための大きな手助けを受ける権利、信仰教育を受ける権利、小教区の資金を管理する権利、という3つの権利が認められていましたが、これ以外の権利は特に認められてはいませんでした。

この教会法は、第二バチカン公会議の精神にもとづき、1983年に全面改正されました。この新しい教会法の中には、信徒の役割が肯定的・積極的な調子で描かれています。しかし、私たち信徒の態度はいまだに「受身的」であり、心の中には旧教会法の精神が生き残っているのです。

(3)種々の会の役割

信徒の中には、もっと教会の活動のお手伝いをしたいと思っている人々もいます。信心会や種々の活動会に参加している人(旗の回りに描かれている人)たちもいます。共に祈る、一緒に聖書を勉強する、病人訪問をする、教会に来ていない人を訪ねる、貧しい人たちを助ける、聖堂を掃除する、などの活動会が活発な小教区もあります。

このタイプの小教区では、主任司祭は常に彼らの指導者であり、彼らはしばしば自分たちを主任司祭の手足だと考えています。

(4)振り返ってみれば

第一のタイプの「主任司祭中心の教会」像を見てきましたが、なぜこのような教会(小教区)になったかについても考えてみる必要があると思います。

明治初期の「キリシタン発見」当時の日本の信者たちの教育レベルは、皆無に等しい状況でした。その後、宣教師たちの涙ぐましい努力のおかげで、教育の機会に恵まれる者も少しは出てきましたが、信者全体から見ると、ほんの一握りの人たちにすぎませんでした。

第二次大戦後も、昭和30年代までは、大部分の人が義務教育を受けるのが精一杯でした。高等教育を受けられるのはごく一部の人で、専門分野の知識はごく限られた人たちのみのものでした。

その中で聖職者は、その時代の最先端で最高の教育を受けていたのです。ですから、信徒から見ると、「司祭は、神様の次に何でもできる存在」だったといえるでしょう。しかもこの状況は、長い教会の歴史の中で、延々と続いてきたものでもあるのです。

したがって、第二バチカン公会議までの小教区像とは、「主任司祭が祈り・研究し・実行し・責任をとる」という形にならざるを得なかったし、その形ですばらしい成果を収めることもできたのです。私たちは、その理想的な姿を明治時代活躍した長崎教区出津教会のドロ神父様に見ることができます。

今回みてきた「主任司祭中心の教会」像は、そのような必然的な流れの中で誕生し、成果を収めてきた、と考えてもよいのではないでしょうか。

次回は、第二のタイプの小教区像として、「活動団体中心の教会」について考えていきたいと思います。

鹿児島カトリック教区報2020年10月号から転載

【2020年10月1日追記】

【図解】主任司祭中心の教会

この記事を読んだ信徒の方から主任司祭中心の教会図解の提供を受けましたので、皆さんの便宜に供したく掲載いたします。個々人はもちろん、小教区やグループなどでの分かち合いにご活用ください。

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