教区シノドス推進会事務局 長野宏樹
み言葉の分かち合いとは(1)カトリック教会の教えから
これまで「全員参加の共同体をめざして」ということで「目指す小教区像」についていろいろなタイプの小教区像を提示し、理想とするタイプは『小共同体(班)中心の教会』であることを考えてきました。そして、班活動の基礎になるのは「み言葉の分かち合い」であり、それにより信仰の交わりを深め、信仰の養成ができる仕組みになっているので、一人ひとりが信仰の喜びを体験していき、その喜びに満ち活き活きとした信仰者の姿が周囲の人々にも良い影響を与え神の愛のすばらしさを伝える結果にもつながると述べてきました。
しかし私たちは、ミサ中の説教や地区集会などで神父さまから聖書にまつわることをお聞きしたり、聖書講座(研究会)で学んだりすることなどに慣れ親しんできたせいか、「み言葉の分かち合い」そのものには馴染みにくいうえに違和感もある、という人が多いようです。
また、「聖書の分かち合い七段階法(セブンステップ)」をやってみたけれどもどうもぴったりこない、難しい、響かない、などという声も聞こえてきたりします。そのような問題を解決するためには、「み言葉の分かち合い」のねらいや特長、そして実施する際の留意点などを理解することがどうしても必要になります。
そこで今回から始まるシリーズでは、「み言葉の分かち合い」の中身をより詳しく考えていきたいと思います。これから述べていくことは後述するどの分かち合いにも共通する事項ですので、基本的で馴染みやすいと言われる「七段階法(セブンステップ法)」を基本にしながら説明していきたいと思います。
(1)「カトリック教会の教え」から
第二バチカン公会議以降、聖書の大切さや聖書の言葉の一つひとつが豊かな神の恵みの源泉であることなどが再認識されてきましたが、これまでに試みられた種々の経験などから「み言葉の分かち合い」の素晴らしさもいろいろと報告されるようになりました。
では、日本の教会は具体的にどのように教えているのでしょうか。2003年日本の司教団から公式に発行された『カトリック教会の教え』という新しい要理書があります。その第4部・第3章・7節(457頁)の「ともにささげる祈り」の項には「祈りの分かち合い」について述べられた箇所がありますので、その部分を紹介させて頂きます。
①新しい動き
20世紀になって、キリスト教の国々にさまざまな新しいムーブメントが起こりました。これらのムーブメントの中には、プロテスタントやカトリックといった特定のキリスト教の派を超えて人々が参加するものもあれば、カトリックの中だけに限られたものもあります…。
②祈りの分かち合い
さらに「祈りの分かち合い」と言われる形態もよく行われるようになりました。仲間たちが集まって、輪を作って座に着きながら聖書を朗読して、しばらく朗読された個所を黙想し、そのあとで今黙想して感じたことや味わったことを、発言したい人が自由に皆に分かち合っていくのです。この感じたことや味わったことの分かち合いは、話す形で行っても、共同祈願のように短い祈りとしてささげ、参加者に祈りの結びのことばを唱えてもらう形をとってもいいでしょう。聖歌を歌うことも勧められます。始めに導入の祈り、終わりに結びの祈りを誰かが唱えて、この「祈りの分かち合い」をまとめるのもいいでしょう。
③話し合いの輪から生まれる祈り
人は様々な苦しみや悩みを持って生きています。これらを自分の中だけに閉じ込めた結果、ますます辛い思いをつのらせている場合も少なくありません。この心の重圧を他者に聞いてもらうことは、人を支え、苦しみを軽減し、開放感を味わわせてくれるのです。また、悩みや苦しみだけではなく、嬉しいことや興味をそそられていることなど、さまざまな生活体験を話し、自分の生活の一部を他者と共有したいと感じることもあります。教会の仲間が集まり、これらさまざまな事柄について互いに分かち合うことができるならば幸いです。
そして分かち合ったことを通じて、自然に仲間のために皆で神に感謝や賛美をささげたり、また願い事の祈りを唱えるなど、その場からわき上がる祈りが生まれるといった共同体験をお勧めします。このような祈りの場を持つことは、どれほど温かい雰囲気をもたらすことでしょう。
しかし、このような話し合いと祈りの集いをする場合、そこで聞いたことを絶対に外部に伝えないことが大切です。その意味で、互いの成熟が必要であることは言うまでもありません。
(2)み言葉の分かち合いの種類
このように、『カトリック教会の教え』ではみ言葉の分かち合いの素晴らしさについて紹介されてはいますが、では具体的にはどうすればよいのかという問題がすぐに生じてくるはずです。み言葉の分かち合いと言えば「七段階(セブンステップ)法」を思い起こす人が多いと思いますが、それだけしかないのでしょうか。
「七段階法」は馴染みやすく、入りやすい方法ではありますが、長い期間それだけを続けていると、個人的な霊性が深められる度合いに比べて社会問題への関心の深まりの度合いは高まらない、と感じるようになります。その問題を解決するために、「み言葉の分かち合い」にはさまざまな種類が考案されています。
その中の代表的なものとして、テーマや目的などを異にした、次の4つをご紹介いたします。
①「七段階法」
②「共同応答法」
③「アモス法」
④「ともにこの道を」
これらの相違を一口ずつで述べるとすれば、「七段階法」が神との個人的な関わりを重視するのに対して、「共同応答法」は他者との関わりを重視し、「アモス法」は社会との関わりを重視する、「ともにこの道を」は現実に直面しているところから入り聖書はどのように教えているかと学んでいくと言うことができるでしょう。また、この4つを、アプローチの方法に基づいて次の2種類に分類することもできます。
1.聖書から生活へ―①②
2.生活から聖書へ―③④
それぞれが、長所と短所とを持っています。聖書から出発すれば生活問題がおろそかになりやすく、逆に生活問題から出発すれば聖書のメッセージが疎かになる危険性があります。その両極端を避けるためには、異なる方法を効果的に交えながら活用することが大切になります。
鹿児島教区では1998年10月に「地区(班)集会の祈り(みことばで祈る)―社会と教会の福音化―」が発行されていますので記憶にある方もおられると思いますが、それから20年余り経過していますので、ほとんどの皆さんにとっては、「み言葉の分かち合い」を初めて体験していくことになるだろうと思いますので、まず最初は「七段階法」だけを活用して、神との個人的交わりのすばらしさを体験させて頂くのがよいのではないでしょうか。
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次回は、「聖書研究会」と「み言葉の分かち合い」との違いについて考えていきたいと思います。
鹿児島カトリック教区報2021年5月号から転載
【図解】み言葉の分かち合いとは(1)カトリック教会の教えから
この記事を読んだ信徒の方から「み言葉の分かち合いとは」図解の提供を受けましたので、皆さんの便宜に供したく掲載いたします。個々人はもちろん、小教区やグループなどでの分かち合いにご活用ください。