「蘭学(洋学)解禁」
新井白石はシドッチ神父尋問の記録を『西洋紀聞』と『采覧異言』にまとめた。その記録の中で、白石はシドッチ神父の尋問中、天文・地理に関するその博識に感嘆すると共に、鎖国下のわが国の学術の遅れを痛感し、西洋の科学や技術を積極的の取り入れなければならないと説いている。
しかし、白石のこれらの本は禁制のキリスト教の話しが載っていたために公開されず、一部の好事家の間で写本が読まれていたに過ぎないが、たまたまこの書を読んだ8代将軍吉宗は西洋に眼を開かれ、ついに蘭学(洋学)を解禁することとなったのである。洋学の解禁は明治における西洋文明の受け入れと文明開化の下準備が始まったことを意味する。日本の近代化につながっていくわけである。
副次的な結果とはいえ、シドッチ神父の来日は日本の歴史に重要な役割を果たしたことになる。
「和魂洋才」への道
一方、白石は先にも触れたように、キリスト教の受け入れに強く反対すると同時に、日本の国を生かし方向付ける魂としての宗教は日本伝来のもので十分であるとの主張をしている。不自由な言葉と突然のキリスト教の説明のためばかりでなく、当代一流の朱子学者であり、合理主義者であった白石は、超自然的啓示宗教であるキリスト教の本来の意味や価値を十分理解し得なかったのであろう。しかしこの白石の見解はずっと受け継がれ、幕末になって佐久間象山の「和魂洋才」という四文字に収斂され、その後のヨーロッパ文明の取り入れに関する基本原則となって日本の歩みをリードしていく。つまり、キリスト教抜きでヨーロッパ文明を取り入れ、ヨーロッパでキリスト教が果たした役割を皇国史観に基づく国家神道を当てようというわけである。これがいわゆる「大和魂」であって、これが昭和の15年戦争を引き起こす原因になったことは周知のとおりである。
この大和魂は太平洋戦争の敗戦によって破綻し、多くの国民が茫然自失して新しい生きがいを捜し求めた。一国家のイデオロギーが人類普遍の原理になり得ないことは明らかである。そんな時代に、鹿児島では、戦地から帰還して茫然自失していた一人の青年がザビエル教会の門をたたいてキリスト教に出会い、洗礼を受けて司祭にまでなった人がいた。
しかし今、和魂洋才は再び息を吹き返し、しきりに「一神教批判」を唱える哲学者や有名人がいる一方、愛国心に名を借りた和魂礼賛運動が出てきたように見えるがどうだろう。「和魂洋才」は多くの日本人の骨の髄まで沁み込んでいるのだろうか。
————–2006年12月04日付糸永真一司教のブログ「折々の想い」から転載