司教の手紙

司教の手紙 ㊺ 「聖家族の現実」~クリスマスに寄せて~

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教区の皆さま、お元気でしょうか。今回は主イエスの降誕祭に因み、「聖家族の現実」についてお話しします。

聖家族とは、神が人間となって私たちの一人になってくださり、私たち家族の苦労を共有してくださった最初の家族のことです。その家族とは、ヨゼフとマリアと幼子イエスのことです。

さて、幼子イエスの誕生物語はマタイ福音書とルカ福音書に記載されています。教会学校やカトリック幼稚園でこの時期に演じられるいわゆる「聖劇」はルカ福音書2章1~20節とマタイ福音書2章1~12節を組み合わせたものです。主な登場人物は、大天使、マリア、羊飼い、東方からの3人の博士、それにヨゼフです。今回、私は洗礼者ヨハネの父親ザカリアとマリアの許嫁だったヨセフのことについてお話ししたいと思います。

ザカリアとマリア

ルカ福音書は、イエスの誕生の前に洗礼者ヨハネの誕生の次第を平行して記述しています。次の通りです。

「洗礼者ヨハネの誕生の予告」(ルカ1・5~25)、「イエス誕生の予告」(ルカ1・26~38)、「洗礼者ヨハネの誕生」(ルカ1・57~66)、「イエスの誕」(ルカ2・1~20)です。これらの箇所は、クリスマスの1週間前から週日のミサの朗読箇所で読まれます。

内容をお話しします。ルカ福音書は基本的に時間軸に従って記述していますが、イエスの誕生については、時代の変化について読者の注意を喚起しています。つまり、旧約時代から新約時代への接点として捉えています。

洗礼者ヨハネは旧約時代の最後の預言者で、イエスは新しい時代の幕開けである、という意味です。洗礼者ヨハネの父親ザカリアは神殿に仕える祭司でした。天使は彼の祭司の務めの最中に妻エリザベトの懐妊を告げます。ところが、ザカリアは、妻は老齢のために妊娠は無理であることを理由に天使の言葉を信じませんでした。しかし、実際に赤子が生まれたら、天使の言いつけに従い、その子にヨハネという名を授け、神を称えました。(ルカ1・57~79参照)

このエピソードは、旧約時代の幸せの価値観を表現しています。すなわち、ユダヤ教の教えによると家族の最大の幸せは、家族が子々孫々栄えることでした。これは神様の約束に基づくものでした。

「神は彼らを祝福して言われた、『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。』」(創世記1・28)祭司伝承とされるこの文章を祭司であるザカリアはいつも心に留めていたと思われます。しかし、如何せん、妻エリザベトは年老いていて、その願いは潰えそうになっていた辛い時期でした。そんな中、神の恵みによって得た子どもの誕生に彼が歓喜したのは同然でした。

一方、マリアはナザレという小さな町に住む少女でした。ナザレの町は山の中腹にあり、人々は、岩をくり抜いた洞窟を住まいとしていました。エルサレムの神殿に仕えるザカリアとは雲泥の差があります。

マリアは、10代半ばでしたがヨセフという許嫁がいました。そのマリアに大天使が現れ、聖霊によってあなたは男の子を産むので、その子にイエスと名付け、立派に育てなさい、と告げます。マリアはまだ夫婦生活をしていないのにどうしてそんなことが起こるのかと尋ねたところ、親戚エリザベトも老人ながら、妊娠したことを告げ、「神にはできないことは何一つない」(ルカ1・37)との大天使の言葉を信じて、マリアは受諾します。つまりこの時にイエスを懐妊します。

ヨセフの家族

ヨセフについてはマタイ福音書に記載されています。

「イエス・キリストの誕生の次第は、次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人だったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうとした。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである』(中略)ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまで、マリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」(マタイ1・18~25)

マリアの許嫁であったヨセフは、6か月間の親戚エリザベトの出産の手伝いを終え帰郷したマリアが、妊娠している事実を知ります。このことは、同然ナザレの村人にも知られることになりました。この時点でのヨセフの苦悩は計り知れないものがあったと思います。

マリアのお腹の子どもは自分の子どもではないことは確かだし、だとしたら、誰との子どもか、また、このことが、マリアが不貞を犯したとユダヤ教の指導者に糾弾され、律法によって裁かれ、石殺しの刑に遭ってしまう。

そのような苦悩の中、ヨセフの決断は、天使の勧告に従って、マリアを妻として迎え入れることでした。つまりお腹の子どもを認知したわけです。マリアとともにお腹の子どもも守ったことになります。つまりヨセフの家族を守ったのです。

マタイ福音書には家族を守る父親ヨセフの働きがもう一つ記されています。

「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデがこの子を探し出して殺そうとしている。』ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母親を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」(マタイ2・13~14)

二つの価値観

イエスの誕生を境に人類の歴史に新しい価値観が芽生えたと言えます。それは、ザカリアの家族とヨセフの家族の目指す価値観の違いです。つまり前者は、家族の繁栄と地上の国の繁栄を求める価値観であるのに対して、後者のそれは、この世の常識とは異なる、神の働きかけに懸命に応答していく生き方、であると言えます。

マリアとヨセフは、社会の底辺で生活し、この世の圧政に押しつぶされそうになりながらも、家族の絆を大切にし、神から委ねられた子どもを保護し、息子イエスが成人しご自分で宣教活動を始める時まで、立派に育て上げました。

この夫婦の、全能の父なる神への全幅の信頼ゆえに、教会は二人を聖人と仰ぎその徳に倣うように信者の私たちに勧めているのです。

鹿児島カトリック教区報2022年12月号から転載

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