かつて、ザビエル教会の助任司祭から吉野教会の主任司祭への転勤の際、前任の七田神父様が住むことになっている司祭の家が未完成のため、引っ越しが叶わなかった。そのため、しばらく通勤ということになった。40代の半ばであったにもかかわらず、生まれて初めて経験する「通勤」がいかに疲れるものであるか身をもって経験した。
4月から吉野幼稚園の園長に、三足のわらじ?
この4月から、その吉野教会に隣接する吉野幼稚園の園長を務めることになった。主任司祭ではないので、当然、通勤ということになり、7時半に出勤する毎日が戻った。理事長、司教、園長の三足のわらじを履くことになったのを一番理解してくれたのが幼稚園のスタッフたち。お蔭で今のところ、午前保育ならぬ午前勤務という特別待遇を享受している。
そんな手抜き園長を続けながら、子供たちの天真爛漫な姿や、大人の片鱗をうかがわせるような言動に思わず声を上げたりと、80余人の子供たちから元気をもらっている。そして、さすがに二カ月にもなると、「おじさん何しているの」と言う子はいなくなった。
朝礼での祈りは、皆、すっかり身についている
そんな子供の園での初日、一番感動したのは子供たちではなく、8時の朝礼での祈りだ。「おはようございます」の挨拶のあとで、当番の先生が「皆さんで、朝のお祈りをしましょう」と声をかけると、一斉に両手を胸の前に合わせる。
一呼吸おいて、「朝の祈り。神さま今日も新しい朝をお与えくださってありがとうございます。…」おそらく仏教徒の二人の運転手さんも背筋を伸ばし、しっかりした口調で丁寧に唱え、再び一呼吸おいて両手を下ろす。信者は一人しかいないのに、すっかり身についた祈りの雰囲気なのだ。
7月のみことばは「互いに愛し合いなさい」
そんな話を何かの時にしたら、「どこの幼稚園でもしている」と一蹴された。あの頃、シスター任せで、朝礼の記憶すらないことが悔やまれた。ともあれ、祈りで始まり、祈りで終わる姿こそカトリック幼稚園。何やら希望が涌いてきた。ちなみに、幼稚園が掲げる7月のみことばは、ヨハネ15章から「互いに愛し合いなさい」。目標は「命育む」。職員や子供たちの中に御父の心が育まれ、宇宙の広がりを持つ誰をも愛せる心が育つことを祈るばかりだ。