みなさまお元気でしょうか。今回は、「神の国と教会」についてお話したいと思います。イエスは神の国の到来についていろんな譬え話を使って語りましたが、神の国が実際にこの地上に実現したのは、彼の死と復活によってでした。繰り返しますが、神の国とは、神の支配が実現した状態のことですが、それは罪と死に拘束されていた人間が、イエスの死と復活によってそれらから解放されたという、イエスの弟子たちの理解によるものです。
イエスと3年間寝食を共にした12人の弟子たちが、師であったイエスが敵に捕縛され、何の抵抗もできないまま、十字上での死をみすみす許してしまった彼らの心痛はいかばかりだったでしょう。師イエスに対する申し訳なさ、自分に対する不甲斐なさ、恩師を見捨ててしまった不義など、あらゆる負の感情が12弟子たちを支配していたに違いありません。しかし、復活したイエスの態度は異なっていました。
「(復活の日の夕方)、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへイエスが来て真ん中に立ち『あなたたちに平和があるように』と言われた。…イエスは重ねて言われた、『あなた方に平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、私もあなた方を遣わす』そう言ってから、彼らに息を吹きかけていわれた『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなた方が赦せば、その罪は赦される。だれの罪でもあなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る』」(ヨハネ20・19~23)
復活したイエスは自分を見捨てた弟子たちに対して、恨み辛みの一言もなく、不義への断罪もなく、ただ、平和を与えました。しかも聖霊を与えて、人の罪を許す権能を賦与したのです。このイエスから赦された、という12弟子たちの体験が基礎となり、聖霊降臨を経て、教会が誕生するのです。
聖霊を受けた12使徒たちが礎となって誕生した教会は、死者の中から復活したナザレのイエスこそ、イスラエル民族が待望していた、メシア(救い主)であると力強く宣言し始めたのです。
「行って『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、らい病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい」(マタイ10・7~8新共同訳)この文章は生前のイエスが12弟子を派遣する場面の言葉としてマタイ福音書には収録されていますが、実際は聖霊降臨後、宣教活動を開始した12使徒たちの実態を伝えています。つまり、そこには、天の国(神の国)の実証として、病人のいやし、ハンセン病者の清め、死者の復活、悪霊の追放などが列挙されています。換言するなら、教会の宣教・司牧活動には、神の国の証が、当然伴ってしかるべきである、ということです。
(鹿児島カトリック教区報2019年3月号から転載)