キリストの福音上陸の地・鹿児島

司教の手紙⑥—教区シノドスのテーマは教会の三つの柱

投稿日:2019年6月30日 更新日:

集まり、交わり、派遣されるの3つを生きる

皆様お元気でしょうか。今年10月13日、14日に開催予定の教区シノドスのテーマは「教会の三つの柱(集まり、交わり、派遣される)を生きる」に決めました。

神父様方のためにギリシャ語で言うとエクレジア、コイノニア、アポストロスになります。日本語はどうしても、ギリシャ語の持つ意味の一部しか表現しないので、信者さんに対して神父様方に捕捉説明をお願いするつもりで記しました。それで、この三つの言葉を私なりに説明します。

エクレジア=呼び集められた人の集会

①エクレジアとは、日本語では「教会」と訳されている言葉ですが、元の意味は、呼び集められた人の集会という意味です。誰によって呼び集められたのかというと、神の呼びかけによって、それに応答した人たちの集まり、ということになります。この応答のことを「信仰」ということができます。信仰と聞くと、何か難しいことのように感じますが、ただ、神様の呼びかけに素直に応答するだけなのです。

日曜日にはミサに集まりなさい、という神の呼びかけを何人の人が意識しているでしょうか。「それは十分わかっています。でもこの世の生活のためには優先すべきことがあるのです」と神様に弁明していると次第に、神の呼びかけが聞こえなくなっていきます。

しかし別の観点からも見ることができます。実は、仕事や家庭の事情で、どうしても主日にミサに参加できない、しかし、聖書を読んだり、祈りをしたりして、心の渇きを満たしている。そんな人がいるかもしれません。それも信仰の行為だと言えます。なぜなら聖書は元来、神の呼びかけに応えていくイスラエル民族の歴史を描いているものだからです。

換言すれば、神との対話の中で、困難な人生を切り開いて行く、そんな人々の生きざまが描かれているからです。

コイノニア=交わりと一致

②コイノニア。この言葉は、交わりと一致という二つの動きを内包している一つの言葉です。日本語訳の一つには、共同体というのもあります。この言葉はわかったようで、実はわからないものです。なぜなら、交わりと一致という人間の行為がなければ、共同体は成り立たないといえるからです。

このギリシャ語が、ラテン語になると一般用語では自治体、典礼用語になるとコムニオ、つまり聖体拝領という意味になります。つまり聖体拝領によってキリストと交わり(一致し)、同じキリストを拝領するので、他の信者さんと交わる(一致する)ことになるというわけです。

第二バチカン公会議以前は、キリストとだけ交わることが意識され、自分以外の信者さんとの交わりは、強調されていませんでした。しかし現在では、キリストと交わることは、他者と交わることの原点であることが強調されます。イエスが説くブドウの木とその幹の関係(ヨハネ15章)を吟味すればよく分かることです。

アポストロス=派遣される

③アポストロス。この言葉は、派遣という意味ですが、ポイントは、派遣主がいる、ということです。自分が自分を派遣するとは言いません。

聖書の中でのこの言葉の厳密な意味は、復活イエスの、12弟子の派遣です。イエスには72人の弟子を派遣する話もありますが、聖書ではアポストロスを使うとき、12人の弟子のことを指し、彼らだけにこの言葉を当てています。カトリック教会には、信徒使徒職という言葉があります。これは、信徒の身分でありながら使徒職を果たす、という意味です。

つまり「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16・15)という、12使徒に与えられたこの使命に信徒が参与し、12使徒(12使徒の後継者は司教団)とともに働くことを信徒の使徒職、と言います。

  • B!

お勧めの記事

1

鹿児島教区司教 中野裕明 「対話を通しての宣教」について 教区の皆さま、お元気でしょうか。 今回は「世界宣教の日」(10月20日)に因み、「対話を通しての宣教」についてお話しします。 さて、カトリック …

2

鹿児島教区司教 中野裕明 「被造物を大切にする世界祈願日 すべてのいのちを守るための月間」について 教区の皆さま、お元気ですか。今回は日本の司教団が制定している「被造物を大切にする世界祈願日 すべての …

3

8月15日は「太平洋戦争終結の日」であり、「聖フランシスコ・ザビエルによる日本へのキリスト教伝来」の日であり、「聖母被昇天の祭日」でもあります。これらの出来事において、「天の父の御心」が実現した日であることを感謝し、世界の紛争地に1日も早く平和が実現するように祈りましょう。

4

教皇フランシスコは、多くのキリスト信者の心を覆っていた「正義の神」、「裁く神」のイメージが「いつくしみ深い神」というイメージに転換することを強く望んでおられます。ミサの式文の中では祈りの冒頭に「いつくしみ深い神」が多用されていることに気づくのではないでしょうか。

5

6月は「イエスの聖心の月」です。イエスの心臓が茨の冠で拘束されながらも愛の炎を燃え上がらせているご絵を思い浮かべてください。このような熱い愛を、洗礼の恵みを私たちは受けているのです。