キリストの福音上陸の地・鹿児島

司教の手紙⑲「全員参加の教会」を目指して

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教区の皆さま、お元気でしょうか?

新型コロナ禍、自然災害等、心配事が多い中、希望を失わずに前進してまいりましょう。

シノドス提言の実践、今後の進め方のポイント

さて、皆さまのお手元には、「教区シノドス提言集」が届いているでしょうか? これは、2019年10月に開催された教区シノドスのまとめです。教区では、この提言集を元にして、それらの提言を実践すべく3部会(信仰、典礼、宣教)に分けてそれぞれに会議を持ち、話し合いを進めてきました。

そして、それぞれの部会での会議が2回終了した段階で、6月の全司祭・助祭集会(コンベンツス)でその結果を分かち合い、課題を共有しました。今回は、その分かち合いを踏まえて、今後の進め方のポイントを提言したいと思います。ポイントは3つあります。

信仰、典礼、宣教の3テーマは密接に繋がっている

シノドスの提言を実践に移すために、シノドスに参加した皆さんには、3つの部会のいずれかのメンバーになって話し合いを続けていただきました。それぞれの行われた2回の会議の結果、浮かび上がった点は、信仰、典礼、宣教という3つのテーマは、それぞれが独立しているのではなく、お互いが密接に繋がっているということでした。

例えば、典礼部会において、「いかにミサの参加者を増やす方法についてある事ことを決めても、それを信者さんが実行してくれない」との意見がありました。この問題は、実は、信者さん個人の信仰の持ち方の問題ですから、むしろ信仰部会で取り組むべきテーマであると言えます。宣教についても言えます。福音宣教ですから、伝えるべき福音が何かをはっきりと把握していることが肝心です。従って、3つの部会は、基礎に信仰、その上に典礼、そして、宣教という風に、重層的に捉えるべきであると思います。

課題克服のため「神の言葉の分かち合い」を

上記の課題を克服するために、私は、「神の言葉の分かち合い」を提案します。

具体的には、来たるべき主日の福音の個所をグループの中で読んで、それぞれの感想を分かち合うことです。鹿児島教区では幸い、班制度が敷かれているので、班集会の中で必ずこの「神の言葉の分かち合い」を実践して欲しいと思います。なお、この「分かち合い」の進め方については、信仰部会で検討し、いずれ皆さんへ案内が行くと思います。

各部会に小教区から最低1人以上の参加を

この3部会は、決して「小教区から遊離した存在で、常に小教区に指示を出す」という性格であってはなりません。むしろ、各小教区から最低1人以上の人が、いずれかの部会に参加して欲しいと思います。なお奄美大島地区の人たちは、その地区で部会がありますから、本土地区に合流する必要はありません。

教会=信者であると同時にイエスのもの

最後に、上記の提案の神学的基礎についてお話しします。それはイエス・キリストと教会(私たち信者)の関係です。ヘブライ書には、「信仰の創始者、または完成者であるイエス」(12・2)という文言があります。つまり、私たちの信仰は、イエスによって成長させられなければならないということです。

また教会については「私はこの岩(ペトロ)の上に私の教会を建てる」(マタイ16・18)をイエス自身が言っています。つまり、教会は私たち信者のことであると同時に、イエス自身のものであるということです。

神様の祝福が豊かにありますように、アーメン

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