教区の皆さま、お元気でしょうか。
「平和旬間」聖ヨハネ・パウロⅡ訪日がきっかけ
今回は平和旬間についてお話しいたします。まず、「平和旬間」とは、聖ヨハネ・パウロ2世が、1981年の訪日の際、広島で発せられた「平和メッセージ」をもとに、広島への原爆投下(8月6日)、長崎への原爆投下(8月9日)そして、終戦記念日(8月15日)までの10日間を平和の大切さについて、考え、祈る期間として、日本の司教団が決定して実行されているものです。
各教区でそれぞれの取り組みがなされていますが、鹿児島教区では、旬間の最終日が、聖フランシスコ・ザビエルの上陸記念日と重なり、十分に平和について思いを馳せることができていなかったと思います。しかしこの数年、「キリスト教伝来記念ミサ」のミサの終わりに一般市民の方々とともに「平和の鐘」を鳴らしてきました。
ところで、今年は、聖フランシスコ・ザビエル列聖400周年記念の年に当たることもあり、特別に駐日教皇大使をお招きしてメッセージを頂くことになっています。大使にはすでに、15日は、聖フランシスコ・ザビエルの上陸記念、太平洋戦争終戦記念、そして、聖母被昇天の祭日であること、それで典礼は、当然、聖母被昇天の祭日の典礼を使用することを確認しています。
平和は神からの恵み⇦信仰者の視点
さて、私たちは信仰者として平和について語るとき、基本的にそれは、神からの恵みであることに気づきます。ミサの中で私たちは何回もこの「平和」を口にします。司祭は「主イエス・キリストによって神である父からの恵みと平和が皆さんとともに」と、呼びかけの言葉として使います。それは、イエスが、12弟子を宣教に派遣した時の「その家に入ったら、『平和があるように』とあいさつしなさい」(マタイ10・12)との指示を思い出させます。
ご聖体をいただく前、私たちは主の祈りを唱えてから、司祭は次のことばを唱えます。「主イエス・キリストあなたは使徒に仰せになりました。『わたしは平和をあなた方に残し私の平和をあなた方に与える。』私たちの罪ではなく教会の信仰を顧み、おことば通り教会に平和と一致をお与えください」、と。その後会衆は「平和のあいさつ」を交わします。
ただ、問題は、物事がうまく進み、自分は何の問題も感じていないとき、「平和」を水や空気のような当たり前のような感覚でとらえてしまいがちなのが人間の性(原罪)であります。困難や危険が自分の身に起こったとき人は初めて、平和の大切さ、貴重さに気づくのでしょう。
イエスは次のようにも言っています。
平和は自分とイエスとの関係性で考える
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵になる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担って私に従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、私のために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」(マタイ10・34~39 )
イエスのこの指摘は、私たちの生活の現実を見事に言い表しています。つまり、たとえ血縁関係にあっても平和は構築しがたい、もし平和が欲しいなら、自分とイエスとの関係性で考えなさい、という勧告です。
自分で種をまいて育てていくもの
ある人が何でも売っているという店に行って、店員に「平和」を下さいと願いました。店員はそのコーナーを紹介しました。案内された所には「平和の種」が置いてあった、というお話です。つまり、平和とは出来上がった商品ではなく、自分で種をまいて育てていかなければならない性質のものだ、ということでしょう。そうだとすると、法律では取り締まれないが、平和を壊すあらゆる種もあるに違いないのです。それらすべての事柄を、私たちは「罪」と呼んでいます。
この意味で、司祭はミサの中で会衆を代表して、「わたしたちの罪ではなく、教会の信仰を顧み、おことば通り教会に平和と一致をお与え下さい」と天の御父に祈るのです。