キリストの福音上陸の地・鹿児島

司教の手紙 ㊷ 「すべてのいのちを守るための月間」に寄せて

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教区の皆さま、お元気でしょうか。

月間のテーマは2つの回勅の学習と実践

今月から10月4日(アシジの聖フランシスコの祝日)までの期間を「すべてのいのちを守るための月間」と定め、その意図するところを学習し、実践するように促されています。それで、今回はその内容についてお話します。

教皇フランシスコは2015年5月に回勅「ラウダート・シ―ともに暮らす家を大切に―」を発布なさり、続く2019年10月に回勅「兄弟の皆さん」を発布なさいました。上記月間のテーマは「この二つの回勅の内容を学習し、生活の中で実践していきましょう」という、いわばキャンペーンであります。

2回勅の源泉はアシジのフランシスコの霊性

この二つの回勅の精神の源泉はアシジの聖フランシスコの霊性(彼のものの捉え方、生き方、目指している方向性)にあります。

アシジの聖フランシスコは、13世紀のイタリアのアシジ生まれの方ですが、彼の生きざまは当時のカトリック教会においては、まさに当代に生きているイエス・キリストの姿、そのものだったのです。当時、キリスト教が社会に十分に浸透していたのは良いのですが、近隣の村同士の戦いは日常的であり、教会は世俗の富者や権力者と結託しており、多くの弱く貧しい人々は社会の中で見捨てられている状態でした。

そんな中、裕福な家庭に育ったフランシスコは、戦争による負傷と捕虜生活を通して、人間の戦い合うことの空しさに覚醒し、心を満たしてくれる人生を求め始めました。そして福音書の中のイエスに出会いイエスを追求する生き方を始めます。まず、人々から見捨てられていたハンセン病者を抱擁し、彼らとともに歩み始めます。その様な生き方に対して、彼の将来を嘱望していた父親は、町の有力者の力を借りて、公に彼を家に引き戻そうとしますが、フランシスコは、身に着けていた衣服を脱ぎ、父に返します。それは、地上の父親との決別を意味すると同時に、すべてを恵まれる天の御父への帰属を意味していました。そして、大司教からもらったマントを身にまとい、托鉢生活に入ります。

フランシスコが受けた啓示は「教会の霊的再建」

その後、キリストのみ旨を祈り求めていると、「ダミアン教会を再建せよ」との啓示があります。フランシスコは、その声は、崩れかけた一つの教会の話だと理解し、さらに他の教会の修復をも手がけました。しかし、イエスの啓示の意味は、物理的な教会堂だけではなく、教会全体の霊的再建という意味でした。

ところで、ご存じのように教皇フランシスコは元来ホルヘ・ベルゴリオという名のイエズス会士です。イエズス会士が教皇に選出されて、アシジの聖フランシスコを教皇名に取られました。イエズス会出身の教皇は史上初であると同時に、アシジの聖フランシスコが教皇名に取られることも初めてのことです。初物尽くしの教皇ですが、教皇フランシスコの誕生は、慈しみ深い神の様々な困難に見舞われている現在の教会への最高のたまものであると私は感じています。

教皇フランシスコは その啓示を最重要課題に

それは、アシジの聖フランシスコに啓示なさった、「教会を立て直しなさい」との使命が、800年の時を経て、現在、教皇フランシスコのもとで果たされつつあると私は感じているからです。その根拠は、上記した二つの回勅にあります。回勅「ラウダート・シ」は聖フランシスコの「太陽の歌」の精神が底辺にあるということを忘れてはならないと思います。この賛歌の特徴は、天地万物の創造主への賛美ですが、地上の価値観だけではなく、永遠の生命に至る道にも言及している点です。

回勅「兄弟の皆さん」は神様を天の父として受け入れ、称える人たちは当然兄弟関係にある人々であるという捉え方をしています。従って、聖フランシスコは、同じ修道会の仲間に対して「兄弟」と呼びかけ、自分もそのように自覚していると同時に、宗教、思想、信条の異なる人に対しても「兄弟の皆さん」と呼びかけているのです。

この回勅の起草についてはイスラム・スンニ派の最高指導者とイスラム学者のお二人と教皇との積み重ねられた対話から受けた多くの刺激が底辺にあると説明されています(回勅「兄弟の皆さん」265頁参照)。さらに、教皇とイスラム指導者との共同文書「世界平和と共生のための人類の兄弟愛」(同上251〜264頁に収録)の内容は圧巻です。

最後に、上記2冊の回勅を読みこなすことは相当困難です。しかし、その中の文章のいくつかの文脈でも理解できるとしたら、混迷する現代の世界情勢の裏側にある諸事情が透けて見えるに違いありません。教皇フランシスコが命がけで、訴えていることは、二つの回勅で指摘されていることがらが真実であるかどうかを、私たちが暮らしている現場、あるいは日常生活の中で確認する作業を怠らないようにということなのです。

鹿児島カトリック教区報2022年9月号から転載

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