キリストの福音上陸の地・鹿児島

司教の手紙 ㊹ ミサのカテケージスについて

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教区の皆さま、お元気ですか。

「ミサのカテケージス」は2022年の教区目標

今回は「ミサのカテケージス」についてお話します。「ミサのカテケージス」は2022年の教区目標として、今年6月の司祭集会で司祭団に公表され、同じく9月の同集会で再確認されました。教区で働く司祭方はそれぞれ、この教区目標に沿って宣教司牧に励まれることと思います。

この教区目標を設定したのには一つの理由があります。それは、今年の待降節第1主日(11月27日)からミサで使用されている言葉が、いくつか変更されるからです。

ミサの言葉の変更を機に目標を設定した

皆さま信徒にとって変更される言葉は、主に二つです。一つは、「主は皆さんとともに」との司祭の呼びかけに対して、「また、あなたとともに」とこたえることと、「主よ、あわれみたまえ」が「主よ、いつくしみを」の二つです。皆さまにとって、何故今更、このような言葉の変更がなされるのか疑問に思われるかも知れませんので、ご説明いたします。

まず、典礼の原則についてお話しなければなりません。各宗教はそれぞれ固有の典礼(儀式)を持っています。そして、典礼で用いられる仕草や言葉は、その宗教の教義の内容を正しく表現していなければなりません。もし、仕草や言葉が教義をゆがめ、そこから信者を離反させるような結果になるとその宗教そのものが瓦解しかねません。ラテン語での原則で表現するなら、“Lex Orandi est Lex Credendi” つまり、「祈り(典礼)の法則は信仰(教義)の法則である」ということになります。

ところで、典礼で使われている言語は、現在、各国語(自国語)で行われていますが、これは50年前からの話です。

50年前、自国語でのミサが可能になったが

70歳以上の信者さんは記憶にあると思いますが、50年前は、全世界どこでもミサはラテン語で唱えられていました。それが、第二バチカン公会議(1963~1965年)の決定により、自国語で唱えることが可能になったのです。

つまり、その時点から、ミサの規範版であるラテン語版から自国語に翻訳する作業が必要になって来た訳です。ただ気を付けなければならないのは、原語の持つ意味内容を正確に同価値の他の原語に移し替えなければならないという規定が課せられることになりました。それは、先の「祈りの法則は信仰の法則」であるという原則からくる要求であります。

現行の日本語ミサ典書、実は暫定版だった

日本の教会の場合、現在使用され、慣れ親しんでいる「ミサ典書」は実際には、1978年に暫定版として、ローマから承認を受けたものでした。しかし、45年近く使われているので、私たちはこれが決定版でもう変更はないのだと思っていましたが、実は日本の司教団は、1988年から決定版に向けた検討を始めていたのです。そして今回、その検討が35年後に結実したのが、実は今回の「新しいミサ式次第」という事になります。

このミサ典礼で使われる用語の変更により、私たちは戸惑い、慣れるまで若干時間がかかるかもしれません。しかし、イエスが教会に残されたミサの意味とその本質にまったく変更はありません。逆にこの変更の機会をとらえて、意味の分からないラテン語から、意味の分かる自国語でミサにあずかっても、ある意味マンネリ化していた部分に目覚め、ミサそのものの意味と本質を改めて司祭が信徒とともに深めていってほしいと思います。

カテケージスとは 「信仰を響かせる」という意味

最後に「カテケージス」という言葉について説明します。これは、「信仰を響かせる」という意味です。

ミサは、決められた所作を忠実に果たせばよいというものではありません。ミサはキリストとの出会いの秘跡なので、ミサの中で、キリストとの出会いがなければ意味がありません。そこで、ルカ福音書24章13~30節を熟読なさることをお勧めします。そこに、真の意味で「ミサのカテケージス」を見出すことができます。

鹿児島カトリック教区報2022年11月号から転載

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