司教の手紙

司教の手紙 52 ミサのカテケージス ①

投稿日:2023年7月30日 更新日:

鹿児島教区司教 中野裕明

「ミサ」の起源について

教区の皆さま、お元気でしょうか。

今年の司牧目標として、私は「ミサのカテケージス」を挙げました。その理由として、昨年の待降節から改訂されたミサ式次第の実施に際し、信者各位がミサそのものの理解を深め、自分の信仰生活や、教会共同体の建設のために役立てる機会となればよいとの意見が司祭団から出されたことが挙げられます。

新約聖書から、時間の経過に沿って

「ミサのカテケージス」とは要するに、ミサを捧げることによって、信者各自が信仰を響かせ、お互いの信仰を増幅させていくということを指しています。

カテケージスとは、信仰を響かせる、という意味です。日本語訳では、「信仰教育」とか「要理教育」と訳され、どうしても知的理解の印象を免れません。従って、信仰が霊肉ともに高揚していくように、との願いを込めて原語のまま「カテケージス」を用いたいと思います。

さて、今回はミサの起源についてお話しいたします。新約聖書の中から、時間の経過に沿って拾っていきます。

ミサの起源は、ずばり、最後の晩餐

ミサの起源は、ずばり、最後の晩餐でのイエスの言葉にあります。「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『とって食べなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた」(マタイ26・26~30)。同じ内容は文言がいくらか異なるものの、マルコ(14・22~26)、ルカ(22・10~20)に描かれています。

さて、この時弟子たちは、イエスの発した言葉の意味を理解していたでしょうか。答えは否です。なぜなら、イエスはその後ゲッセマニの園でローマ兵に捕縛され、翌日裁判にかけられ、十字架での死に至りますが、その時弟子たちは、何もできずに様子伺いだったからです。

復活の日、エマオでの出来事

復活の日、エルサレムからエマオに下る2人の弟子に、復活したイエスは旅人の姿で、同伴します。2人は、3日前に神からのメシアだと期待していたナザレのイエスが、ユダヤ教の祭司長や議員たちによって十字架による死刑にされてしまったと落胆した様子で旅人に告げます。復活したイエスは「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された。」(ルカ24・27)。

それから事件が起きます。2人は目指す村に近づきましたが、旅人は先に進もうとしました。2人は無理に旅人を宿に引き留めました。旅人の姿をした復活したイエスは「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」(同上30~31節)。

そして、2人は時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると11人の仲間が集まっていて、本当にイエスは復活してシモンに現れたと言っていました。

「二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」(同上35節)

2人の弟子は、復活したイエスと、最後の晩餐でのイエスの言葉と仕草が一致したことによって、イエスは、一度は死なれたが、今や自分たちと共にいてくださること、しかもそれは、最後の晩餐の時の言葉と仕草を繰り返すことで確認できるという信仰の核心を得たのだと言えます。

復活から50日後、聖霊降臨のころ

主イエスの復活から50日後、弟子たち一人ひとりの上に聖霊が降ります。いわゆる聖霊降臨です。そのころの信者たちの様子が記録されています。

「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(使徒言行録2・44~47)

現在の完成された儀式としてのミサではありませんが、皆が助け合うこと、パンを裂き食事を共にすることなど、ミサの基本的な要素がそこに見られます。

聖霊降臨から15年ほど経って…

最後にコリントの教会での様子を見ます。紀元50年ごろの事情なので、聖霊降臨から15年位経っています。聖パウロは、先に引用した、最後の晩餐の制定(マタイ20・26~29)を信者に明記した後、次のような勧告を発しています。

「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになる」と。(1コリント11・27)

コリントの町は商業の町でした。いろんなタイプの人々が教会に来ていたようです。ただ、現在のようにミサという儀式が完成していたわけではなく、ましてや聖体が秘跡であるとの捉え方もまだ確立していません。

ただ、信者は最後の晩餐の制定に与かることによってキリストとの絆を確認していたと思われるし、貧しい人々を大切にするようにというイエスの教えを実行することは最低限、主のパンをいただく者の義務であることをパウロは信者に勧告しています。(1コリント11・17~22、27~34参照)

鹿児島カトリック教区報2023年8月号から転載

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