キリストの福音上陸の地・鹿児島

《2024年 年間目標》洗礼の恵みに気づき、それを生きよう(4)

投稿日:2024年4月1日 更新日:

中野裕明鹿児島司教

鹿児島教区司教 中野裕明

教区の皆さま、主イエスのご復活おめでとうございます。

今回は、洗礼の恵みをその源泉である復活の観点からお話しいたします。

聖パウロは、洗礼の意味ついて次のように語っています。

「キリスト・イエスにあずかる洗礼を受けた私たちは皆、キリストの死にあずかる洗礼を受けたのです。私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。

私たちがキリストの死と同じ状態になったとすれば、復活についても同じ状態になるでしょう。私たちの内の古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪の体が無力にされて、私たちがもはや罪の奴隷にならないためであることを私たちは知っています。死んだ者は罪から解放されているからです。

私たちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことはない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対しては、キリスト・イエスにあって生きている者だと考えなさい。」(ローマ6・3~11)

聖書の引用が多少長くなりましたが、聖パウロが主張したかったことは要するに、私たち人間と神の子イエスとの関係は、旧約時代のようにいわゆる人間側から神に対して、礼拝し、いろんな善を懇願する、そして神はこれらの懇願をことごとくかなえてくださる方というパターンではなく、「洗礼を受けることによって、人間となられた神であるイエス・キリストに固く結ばれる」ことだということです。

イエス・キリストに固く結ばれるということ、天の御父が御子イエスに施した全能のわざ、特に死者の中からの復活の恵みを洗礼を受けた人すべてに施すという意味です。私たち信仰者がこれほどイエスの復活を祝うのは、私たち自身の命に関係する事柄だからです。

天地創造のはじめに、「神は人を自分のかたちに創造された」(創世記1・27)とあります。

ここで言われている人は「アダム」のことです。

天地万物の造り主である神は6日間の創造を「それは極めて良かった」(創世記1・31)と言われて、7日目の安息に入りました。しかし、その後、エデンの園で事件が起きます。つまり、人は自由意志を用いて、神の言いつけを守れなかったのです。この状態が罪である、すなわち神との友情が途絶えてしまったのだと教会は教えます。

聖パウロは、人(アダム)とイエスの関係を次のように説明しています。

「一人の過ちによって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人たちは、一人の人イエス・キリストを通して、命にあって支配するでしょう。」(ローマ5・17)

この文言をもって、イエスは「第二のアダム」、すなわち「第二の人間」と言われるようになりました。

実は、天地創造のはじめに人間が神の似姿(ImagoDei)として造られたというのは、真の神であり、真の人間であるイエス・キリストに向けて、あるいは彼をモデルにしているという意味だったのです。因みに、聖パウロが言うところの「恵みと義の賜物とを豊かに受けている人たち」とは、洗礼を受けた私たちのことを指しています。

これで分かるのは、旧約聖書に描かれている天地万物の創造の物語は、イエス・キリストの復活によって完成させられたということです。(1コリント15・22~28)

ここまで、神学的な硬い話をしましたが、復活したキリストと結ばれていると思わせるキリスト信者の特長をあげてみます。

①楽観的な人(絶望的な状態に遭遇しても回復力が速い)。
②人をゆるす事ができる人。
③人のために犠牲をいとわない人。
④他者の善のために生きる人。
⑤自然界の秩序を正しく、善く用いる人。
⑥喜ぶ人と喜び、泣く人と共に泣ける人。

特徴的なことは他にもたくさんあると思いますが、まとめとして、典礼聖歌390番の歌詞を思い起こしたいと思います。

「キリストのように考え、キリストのように話し、キリストのように行い、キリストのように愛そう。もはやこの身に生きることなく、キリストと共に生きるために。キリストの死をその身に受け、新たないのちに召されたなら。」
というものです。

この詩は、ガラテヤ書2章20節とローマ書6章3~の内容から編み出されたものです。できれば聖書の原文に触れて黙想してみてください。

鹿児島カトリック教区報2024年4月号から転載

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