鹿児島教区司教 中野裕明
教区の皆さま、お元気でしょうか。
6月は「イエスの聖心の月」です。イエスの心臓が茨の冠で拘束されながらも愛の炎を燃え上がらせているご絵を思い浮かべてください。このような熱い愛を、洗礼の恵みを私たちは受けているのです。
さて、私たち日本の司教団は4月8日~13日までローマ教皇庁を定期訪問してきました。
この訪問は、アド・リミナ・アポストロールムと呼ばれるもので、直訳すると「使徒聖ペトロと聖パウロの墓参」となります。内容的には、ローマ教皇庁と各国の司教団との神学的、霊的、実務的な交わりを深めることを目的としており、教会法に5年に一度の開催と定められています。今回はコロナ禍の影響で3年延びたようです。
この訪問の準備として、各教区は自教区についての過去5年間の報告書を提出します。
訪問中のスケジュールですが、最初の4日間で13の部署を訪問しました。13の部署は以下の通りです。
①聖職者省、②文化教育省、③奉献・使徒的生活会省、④諸宗教対話省、⑤いのち・信徒・家庭省、⑥総合人間開発省、⑦教理省、⑧典礼秘跡省、⑨福音宣教省・初期宣教部門、⑩福音宣教省・世界宣教部門、⑪広報省、⑫列聖省、⑬国務省。
各省の訪問の形式は、お互いの自己紹介の後、日本側から事前に提出していた報告並びに提案書に基づいて、意見交換がなされるという形でした。このような会合を通して、日本の事情をローマ教皇庁側に報告するとともに、教皇庁側の考え方を聞く良い機会となりました。
この訪問の頂点はやはり、教皇フランシスコとの謁見でした。
その日は、午前7時から、聖ペトロ大聖堂の地下にある聖ペトロの墓の前でミサを捧げた後、教皇謁見に臨みました。2時間ほど待機して後の謁見でした。私たちの前に4組ぐらいの謁見があったのかもしれません。「お忙しい教皇様」といった感じです。
私の知る限り、以前の教皇様だと、先ず日本の司教団への教皇からのメッセージが読み上げられ、それについて質疑応答がなされたようですが、今回は司教団と中央協の事務局長だけが車座になって、自由に会話を交わすというものでした。これまでのような日本の司教団に対するメッセージはありませんでした。教皇は杖を頼りに自力で、着座すると、原稿なしで、「皆さん、自由に質問してください。私に対する批判でもいいですよ」と言われました。すると一気に空気が和み、率直で、教皇の本音を聞きたそうな質問が出ました。「これがまさに教皇が推進しているシノダリティー、つまり、霊における会話」と感じました。
質問とその答えは、問題ではありません。そこで何が決められたかではありません。お互いが、理解し合えたという充実感です。教皇はこの会合を次の言葉で締めくくられました。大事なことは「喜びです」と。
因みに、教皇フランシスコの使徒的勧告のタイトルにはすべて「喜び」が使われています。「福音の喜び」(2013年)、「愛のよろこび」(2016年)、「喜びに喜べ」(2018年)。
最終日は、聖パウロ大聖堂で締めくくりのミサを捧げました。
紀元65年頃、暴君のネロ皇帝の時に殉教した聖パウロの遺体が納められている大聖堂です。ローマは聖ペトロだけではなく聖パウロの殉教地でもあります。宣教において、聖パウロの働きは甚大です。
ところで、前日の教皇との会合の中で教皇は、聖パウロにも言及しました。それは、「エルサレムの使徒会議」(使徒言行録15・1~35)の事でした。
すなわち聖霊降臨後、使徒たちの宣教活動が活発化する中で一つの問題が生じました。つま、「ファリサイ派から信者になった人が数名立って、『異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ』と言った」(使徒言行録15・5)のです。この意見に対して、エルサレムの使徒や長老たちと、異邦人に対して福音宣教をしていたパウロとバルナバとの間に激しい対立と論争がなされたのが、このエルサレムの使徒会議の内容でした。
現在でも、全世界の教会で、いろんな問題について激しい論争が繰り広げられています。勿論、ローマ教皇庁でも例外ではありません。そんな中、教皇は涼しい顔で、言い放ちます。「初代教会でも一緒だったでしょう」と。聖ペトロと聖パウロの住むローマは、そんな魅力のある街であるし、「喜びと希望は、決して失われてはいないと感じる都市である」と言えます。