門田明氏の鹿児島とキリスト教①
最近、鹿児島とキリスト教の出合いと、その後の歴史に興味を持っている。それでしばらく、思いつくままに学んだことを書き留めてゆこうかと思う。
少し話が大きくなるが東洋にキリスト教が伝えられたのはいつのことかそのあたりから始めてみたい。
川口一彦編著『景教』によると、景教の景とは大きな光、燃えて輝く太陽の意昧で、永遠の光・世の光であるイエスのことであるという。東シリアの初代教会が、シルクロードを通って中国の唐に宣教し、栄えたイエス教団だという。
紀元781年、西安に景教碑が建立され、そごに「ぺルシャ人の医師リミツ」とあり、景教を伝えたミリスのことでないかと推測されている。このミリスは西安に来る45年前来日する。つまりキリスト教は、日本に最初、紀元736年に伝えられたかもしれない。
一方、仏僧空海は804年、遣唐使船で長安に着き、密教経典を学ぶが、彼は景教碑を見、それを作ったペルシャ人景浄と親交があったという。景浄はミリスの父と言われている。空海自身と景教の関係については資料もない状態であるというが、密教の儀式の中で十字を切ることがあり、キリスト教景教の影響であろうと推測されている。
このように見てくると、キリスト教はかなり早い時期に日本に伝えられていた可能性がある。十分の内容が正確に伝えられたとは考えられないが、広い意味で、漠然とした思想として、仏教を着色するような形で、人々の心に浸透していたのではないだろうか。
もちろんごの話は鹿児島と無関係かもしれない。当時の日本の中心地、奈良、京都などでの出来事であろうが、鹿児島はまったく無関係だったろうか。断言はできないが、絶対無関係とも言えまい。8世紀、鹿児島にもキリスト教の陰がかすかに差したか、好奇心をそそられる。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)
鹿児島カトリック教区報2006年5月号から転載