キリストの福音上陸の地・鹿児島

ザビエル、日本渡航を決心する

投稿日:2006年11月1日 更新日:

門田明氏の鹿児島とキリスト教⑦

先号では、知り合いのポルトガル人から日本のことを聞き、ザビエルが日本に強い興味を持つようになったことを述べた。

その後マラッカで鹿児島人ヤジロウに出会い、日本に対する関心はますます激しく抑えがたいものになり、ついに日本に行く決心をする。

「私は日本に滞在したことがある信頼できる多くの人から、日本の島じまは信仰を広めるためにきわめてよく整えられたところであるという、たくさんの情報を入手いたしました。それで私はごの地方へ行くのが神へのより大いなる奉仕になるかどうか、至聖なる御旨を私自身の心のうちに感じさせてくださいますように、主なる神に大きな思恵をお願いすることにしました。神はそれをお喜びになり、私が日本へ行くことは神への奉仕になると私の心のうちに感じる恩恵をお与えになりました。」(書簡第83・マラッカ発ポルトガル国王宛)

1548年5月20日、聖霊降臨の祝日、ヤジロウは洗礼を受け、キリスト教徒となった。霊名はパウロ。日本人最初のキリスト教徒である。この鹿児島人パウロ・ヤジロウがザビエルを鹿児島に案内し、キリスト教の日本渡来に貢献したことを忘れることはできない。

さて当時マラッカから日本に渡航することはきわめて危険なことであった。ザビエル自身、イエズス会員に宛てた書簡の中でこの危険をこう説明している。

「今まさに向かってゆくこれらの地域は、数々の困難と死の危険にさらされているからです。日本への渡航はたいへん危険で、大暴風雨、たくさんの浅瀬、無数の海賊の危険があり、とくに暴風雨のために三隻のうち二隻が到着すれば、大成功とさているほどです。」

しかし、この危険を恐れることもなく、彼は1549年の洗礼者ヨハネの祝日(6月24日)日本に向けてマラッカを出航したのである。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)

鹿児島カトリック教区報2006年11月号から転載

  • B!

お勧めの記事

1

8月15日は「太平洋戦争終結の日」であり、「聖フランシスコ・ザビエルによる日本へのキリスト教伝来」の日であり、「聖母被昇天の祭日」でもあります。これらの出来事において、「天の父の御心」が実現した日であることを感謝し、世界の紛争地に1日も早く平和が実現するように祈りましょう。

2

教皇フランシスコは、多くのキリスト信者の心を覆っていた「正義の神」、「裁く神」のイメージが「いつくしみ深い神」というイメージに転換することを強く望んでおられます。ミサの式文の中では祈りの冒頭に「いつくしみ深い神」が多用されていることに気づくのではないでしょうか。

3

6月は「イエスの聖心の月」です。イエスの心臓が茨の冠で拘束されながらも愛の炎を燃え上がらせているご絵を思い浮かべてください。このような熱い愛を、洗礼の恵みを私たちは受けているのです。

4

5月は聖母月。19日に聖霊降臨の祭日を祝います。復活節はこの日をもって終わります。教会の誕生日である聖霊降臨の日、新信者は、父である神、子である神、神の母である聖母を頂く家族の一員であることを喜んで自覚するのです。

5

私たち人間と神の子イエスとの関係は、「洗礼を受けることによって、人間となられた神であるイエス・キリストに固く結ばれる」ことだということです。