波頭を超えて屋久島に上陸したシドッチ神父
司祭叙階後まもなくしてuditore(枢機卿側近)に抜擢されたが、32歳にして日本渡航を請願。日本の禁教令は今なお厳しく日本渡航は死を意味した。教皇クレメント11世は苦慮の末、シドッチ神父の熱意に押されて許諾。
1703 年22年ぶりに日本渡航を志す若い有能な司祭がジェノバの港から船出した。かつて宣教師たちは、スペイン・ポルトガルが東洋での覇権を巡ってしのぎをけず る大航海時代の波に乗って日本にやってきた。「よそ者に日本を荒らされてなるものか」と鎖国禁教の日本。しかし、日本人についてはザビエルがこよなく愛した鹿児島の人ベルナルドをはじめ、九州から送り出された少年使節などローマに残された多くの優秀な日本人たちの足跡がシドッチ神父の日本渡航への思いを募らせたに違いない。「波頭を越えてやってきた熱心で優秀な人々のふるさと日本に渡り禁教の誤解を解かなければならない!」そんな高邁な思いを誰がとめることができただろうか。
話は脈絡を欠くが「真実の愛とは決して後悔しないこと。」なんの番組だったか今朝のジムのテレビから二度も流れてきた名言?に心が動いた。司祭職駆け出しの 頃を思うと赤面することは多い。しかも「ハイ!」と一歩踏み出したにもかかわらず、エジプトを懐かしがった神の民同然の自分もいたりする。それでも最終的には「もう一度人生がもらえるのだったらやはり司祭になりたい」との思いを語れるまでになったのはいつの頃か。
そんな思いを新たにしながら臨んだ勉強会。屋久島上陸後直ちに捕縛されたシドッチ神父。案じていたことが現実となった。捕縛の報を受けた教皇は「マンマミーア!言わんこっちゃない!」と慨嘆されたのだろうか。そしてさらに、シドッチ神父自身は教皇の慈父の心遣いにもかかわらず意志を貫いた己の「若気の至り?」を後悔はしなかったのだろうか。明言のしようもないが、初志を翻すことはおろか神の前に恥じることなど皆無だった違いない。で、「真実の愛とは神の前で恥じることのないこと」と言い換えてみたい。
それにしても「・・・狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」というミサの福音はクレメント教皇がシドッチ神父に抱いた思いそのものではなかったのか。ともあれ霧の彼方からシドッチ神父の輪郭が少しずつ顕わになってくるようでワクワクだ。明日はいよいよ新井白石との対面。楽しみだ。
———-2010/01/26付郡山司教の「それでも!Blog」から転載