シドッチ神父はキリスト教禁制下の1708年10月11日、日本での宣教を夢見て密かに屋久島の恋泊に上陸した宣教師。しかし数日後に捕縛され、長崎、江戸へと送られ、1715年11月27日、幽閉先のキリシタン屋敷で来日の目的を果たせぬまま獄死した。
しかし幽閉中にシドッチ神父の尋問に当たった新井白石がその記録に所見を加えて「西洋紀聞」「采覧異言」を著し後の開国につながっていったとされている。
この日本における西洋文化導入の恩人とも言えるイタリア人宣教師ジョバンニ・バチスタ・シドッチ神父の遺業を記念しようと屋久町が上陸地に記念碑を建立したのが1980年3月のこと。また屋久町では1983年以降毎年「シドッチ祭」を開催してきており、昨年11月のもので二十七回目となった。
記念祭ではまず日高十七郎町長が「シドッチ神父とは文化、宗教の違いはあるもののその志しは素晴らしい。郷土史の中でも後世に伝え、そして世界へと発信したい」と挨拶した。これを受けて郡山司教は長年記念祭を継続して開催してきた地元に「ここが明治維新へと日本を動かした聖地。大切にしていきたい
と謝辞を述べた。
その後は、小島地区公民館に会場を移し、小島に住みシドッチ神父について研究している古居智子さんの熱のこもった講演を聞いた。
シドッチ神父を発見し、数日間にわたり生活をともにした屋久島の人々との心温まる交流と新井白石とシドッチ神父の人格的交わりを中心にした彼女の講演は、まるで劇のシナリオのようで、聴衆を三百年前に誘ってくれるようだった。そしてその後舞台の上で披露された地元の小中学生によるシドッチ神父の朗読劇では、多くの人々が感動の涙を流していた。
その後、小島地区婦人会の手料理のもてなしを受けた巡礼団は、来年の来島を誓って屋久島を後にした。
カトリック鹿児島教区報2010年1月号から転載