シドッチ神父

信者と地元が温かい交流

更新日:

屋久町主催第27回「シドッチ祭」
11月23日(月)屋久町小島地区で恒例の「シドッチ祭」が開催され、シドッチ神父と島民の心の交流の史実を大切にし、全世界に発信しようとする地元と神父の宣教魂とその遺業を称えようとする信者たちが交流した。

シドッチ神父はキリスト教禁制下の1708年10月11日、日本での宣教を夢見て密かに屋久島の恋泊に上陸した宣教師。しかし数日後に捕縛され、長崎、江戸へと送られ、1715年11月27日、幽閉先のキリシタン屋敷で来日の目的を果たせぬまま獄死した。

しかし幽閉中にシドッチ神父の尋問に当たった新井白石がその記録に所見を加えて「西洋紀聞」「采覧異言」を著し後の開国につながっていったとされている。

この日本における西洋文化導入の恩人とも言えるイタリア人宣教師ジョバンニ・バチスタ・シドッチ神父の遺業を記念しようと屋久町が上陸地に記念碑を建立したのが1980年3月のこと。また屋久町では1983年以降毎年「シドッチ祭」を開催してきており、昨年11月のもので二十七回目となった。

shidotiこの第27回シドッチ祭には、教区でも郡山司教を団長に約40人の巡礼団を組織し、11月22日と23日の両日、屋久島教会でミサをささげ、また地元屋久町、特に小島地区の人々と温かい交流のひとときを持った。23日の記念祭当日、教区の巡礼団は屋久島教会で地元の信者とともにミサをささげ、その後上陸記念碑前で開催された屋久町主催の「シドッチ祭」に出席した。

記念祭ではまず日高十七郎町長が「シドッチ神父とは文化、宗教の違いはあるもののその志しは素晴らしい。郷土史の中でも後世に伝え、そして世界へと発信したい」と挨拶した。これを受けて郡山司教は長年記念祭を継続して開催してきた地元に「ここが明治維新へと日本を動かした聖地。大切にしていきたい
と謝辞を述べた。

その後は、小島地区公民館に会場を移し、小島に住みシドッチ神父について研究している古居智子さんの熱のこもった講演を聞いた。

シドッチ神父を発見し、数日間にわたり生活をともにした屋久島の人々との心温まる交流と新井白石とシドッチ神父の人格的交わりを中心にした彼女の講演は、まるで劇のシナリオのようで、聴衆を三百年前に誘ってくれるようだった。そしてその後舞台の上で披露された地元の小中学生によるシドッチ神父の朗読劇では、多くの人々が感動の涙を流していた。

その後、小島地区婦人会の手料理のもてなしを受けた巡礼団は、来年の来島を誓って屋久島を後にした。

カトリック鹿児島教区報2010年1月号から転載

お勧めの記事

中野裕明司教の紋章 1

今回は世界宣教の日(10月23日)に因み、禁教令下最後の宣教師シドティ神父についてお話します。彼は、1708年屋久島に上陸、すぐに捕らえられ、長崎の奉行所で尋問を受け、翌年、江戸に送られ、キリシタン屋敷に収監されます。

中野裕明司教の紋章 2

教皇フランシスコが命がけで、訴えていることは、二つの回勅で指摘されていることがらが真実であるかどうかを、私たちが暮らしている現場、あるいは日常生活の中で確認する作業を怠らないようにということです。

中野裕明司教の紋章 3

イエスの指摘(マタイ10・34~39)は、私たちの生活の現実を見事に言い表しています。つまり、たとえ血縁関係にあっても平和は構築しがたい、もし平和が欲しいなら、自分とイエスとの関係性で考えなさい、という勧告です。

中野裕明司教の紋章 4

「いのちの福音」は神からいただいたすべての「人間のいのち」について、カトリック教会の教えを体系的に論述したものですが、私は、胎児のいのちに限り、論点だけをお話いたします。

中野裕明司教の紋章 5

「イエスのみ心」の信心の始まりは、あくまで十字架上で血を流された、あのイエスの心(愛)を観想することです。「永遠のいのちの糧であるパン」と「多くの人の罪のゆるしのために流される血」を受けて、イエスの愛を生き、他者を愛する力が与えられるよう祈りましょう。

-シドッチ神父
-

Copyright© カトリック鹿児島司教区 , 2022 All Rights Reserved Powered by STINGER.