レデンプトール会司祭・頭島 光神父
この聖堂はBom Jesusと呼ばれ、その意味は、「善きイエス」あるいは『幼子イエス』です。完成されたのは、1594年。ザビエル様が亡くなったのは1552年ですから、それから42年後ということになります。いずれにしても、このゴアは、ザビエル様がポルトガルのリスボンを出航して、アフリカの喜望峰を回り、翌年の1542年5月6日、約一年の船旅を終え、上陸したインドの最初の町なのです。その当時すでにキリスト教の共同体は存在していて、多くの人々の協力を得て、アジアのキリスト教布教に貢献したのです。ザビエル様が初めての日本人・ヤジロウに出会ったのは、マラッカ。その出会いから一年半の歳月の後、1549年8月15日、ゴアを出てから4か月目のこの日、ヤジロウの故郷、鹿児島の港に入ったのでした。
私たちの巡礼の旅は、ザビエル様が鹿児島にいらしたのとは、逆のコース。
南インド最初の訪問地はかつてのマドラス(現、チェンナイ)。
ここにはイエスの弟子の一人、使徒トマスのお墓があるとされている教会、サントメ教会があります。この町で、私たちはインド最大の宗教・ヒンズー教(83%)の寺院、カパーレ・シュワラを訪れました。8世紀に建てられた寺院で、シヴァ神がまつられています。高さ37メートルもある山門にはたくさんの聖人像やら、神々が飾られているのが見えます。
チェンナイからさらに飛行機で第二の訪問地、コーチンに到着。11月30日でした。この教会には、喜望峰を回り、膨大な富を本国にもたらしたヴァスコ・ダ・ガマの墓跡があります。この教会はインドでもっとも古く建てられた教会としても知られています。ガマは、1524年、この町で死に葬られました。
私たちがインドのゴアに入ったのは、その翌日の12月1日でした。そしてその翌日の朝、私たちはボンジェズ教会に向かって、朝7時ホテルを後にしました。多くの車やバイクに乗った人々が行き交うガタガタの狭い道路を走ること約1時間、ようやく着いたボンジェズ教会、その隣にはカテドラルが立っています。
午前9時半、そのボアンジェズ教会でミサを予定していた時間。前日、航空会社の予約過剰でコーチンから別行動になった7人は果たしてこの時間に間に合うだろうか。時計は9時15分、ただじっと待っていても仕方ない。皆で祈るということになり、ロザリオの祈りが始まる。と、ちょうどその祈りが終わろうとしたとき、聖堂の入り口付近から、日本人らしき人の姿、一人また一人と現れ、感激の涙、涙、であった。九時半、まさに奇跡が起きた。ザビエル様は私たちを再び引き合わせてくださいました。しかもその場所で。ミサの時間に。
感謝、感謝のミサとなったのです。
鹿児島カトリック教区報2007年2月号から転載