教区シノドス関連

教区シノドス これからどう進む--- ⑤

投稿日:2021年1月29日 更新日:

教区シノドス推進会事務局・長野宏樹

全員参加の共同体を目指して

4 自覚する教会

これまで三つのタイプの小教区像をながめてきましたが、今回は第二バチカン公会議直後にさまざまなところで目立つようになった「自覚する教会」と呼ぶこともできる、前向きに生きようと努力する教会の姿について考えてみたいと思います。

(1)私たちが「教会」の一員

自覚する教会

自覚する教会

上の絵と前回の絵との相違点はどんなところでしょうか。小教区評議会以外の場でも、小教区評議会と同じテーマについて話し合っているようです。

第二バチカン公会議以前の教会で「教会とは何ですか?」という質問をすると、ほとんどの方が「ミサが捧げられる建物(聖堂)」、あるいは「教皇様や司教様・神父様たちによって成り立っている、信者を天国へ導いてくれる神の代理者たちのグループ」などと答えていました。しかし公会議以後は、「教会は私たち信者全員で作っているのだ」「私たち自身が教会なのだ」という意識を信徒たちも持ち始めるようになります。

とはいっても、「私たち自身が教会だとはどういうことか」、そもそも「教会とは何か」、「教会の存在理由は何か」などという問いに対して納得できるような解答を、そう容易には見出すことはできませんでした。そこで世界中の教会のあちらこちらで、「教会とは何か?」ということを真剣に問い始めたのです。

しかし、鹿児島教区におけるその面での動きは、非常にゆるやかなものでした。今になって考えるとそのお蔭かも知れませんが、信者たちはそれほどの違和感もなく教会全体の動きを少しずつ受け入れていったように思えます。そして1970年に糸永司教様が着任されてからは、司教様の強いリーダーシップのもと、次から次へと具体策が提示され私たちは戸惑いや本当にこれでよいのだろうかと感じながらも、全員参加型の教会づくりの動きが、着実に軌道に乗ってきたようです。

(2)全員参加型の教会

では、全員参加型の教会とはどんなものでしょうか。

それは、司教や司祭が教え・指示し信徒は有無を言わずに従う、それが気に入らなければ反発するか陰口を言う、というタイプの教会でないことは明らかです。全信者が自分たち一人ひとりが動かなければキリストが望まれる教会の動きはストップするのだという意識を持ち、各自に与えられた役割を喜んで引き受けて、全体が希望と活気に満ち溢れている教会のことです。

しかし、それはあくまでも理想論であって、現実の教会はまだまだそこからはほど遠い状況にあります。でも公会議以前の教会と比べてみると、年を重ねるごとに一歩ずつそこへ近づきつつあるのだという実感はわいてきます。

(3)なぜ?なぜ?なぜ?

全員参加型の教会になるまでには、さまざまな疑問や困難な問題に直面し、それらを一つずつ解決していかなければなりません。

なぜこれまでどおりの教会生活ではいけないのだろうか?なぜ信徒は教会の仕事をしてくれないのだろうか?なぜ神父様は信徒の意見に耳を傾けてくれないのだろうか?なぜ教会には男女の差別があるのだろうか?…などなど、さまざまな疑問への回答ないし解決策を見出す努力をしなければなりません。

また、若者が教会へ近づくようになるにはどうすればよいのだろうか、「信仰と生活の一致」をめざすためには何をどう改善すればよいのだろうか、信徒が社会的活動に関心を持つようになるにはどうすればよいのだろうか…などなど、さまざまな問題と真剣に対峙しながら、一歩ずつ改善していく必要があります。

(4)改革に対するさまざまな反応

何らかの変更を行おうとする際には、賛成意見と反対意見とが必ず出てくるものです。公会議後の教会における信者間の意見の衝突も、実に激しいものでした。ミサ中のことばがラテン語から日本語へと変わり、それを捧げる祭壇が背面向きから対面向きへと変わる際などは、あたかも天変地異が起きたときのような騒動でした。

あれから65年以上過ぎた現在では、もう対面式ミサに違和感を持つ人などまったくいなくなったのではないでしょうか。10年くらい前に洗礼を受けた方々にそのような話をすると、なんだか何世紀も前の教会の歴史を聞いているような感じがする、ということばが返ってくるほどです。

しかし、何らかの改革が行われようとしている現場に生きている人々にとっては、事は重大です。ほとんどの人が、現状を維持することないし維持しながら少しずつ変更していく道を選びたがります。教会内の改革の場合は、信徒であれば、自分たちはこれまでだまされ続けてきたのかという不信感を抱く人も出てくるかもしれませんし、聖職者であれば、これまでの自分たちの指導が間違っていたのではないかという不安を抱き、自信をなくしてしまう可能性もあるでしょう。

そこで大切になるのが、「見極め」です。この改革を進めていけば教会ははたして改善されるのかどうかについての見極めを、できれば当事者全員で行うことです。そして、もし肯定的な結論が出されたならば、一致協力しながら、その実現へ向けて一歩ずつ進んでいくことです。教区シノドスで多種多様な意見が出され、その内容は提言書に示されていますがまさに「教会とは何か?」「そのためにはこうして欲しい」という切実な希望が出され具体的な「見極め」の作業がシノドス推進会議で継続中です。

-------------------------------

次回は、第五のタイプの教会像として、「小共同体中心の教会」について考えていきたいと思います。

鹿児島カトリック教区報2021年2月号から転載

【図解】自覚する教会

この記事を読んだ信徒の方から「自覚する教会」図解の提供を受けましたので、皆さんの便宜に供したく掲載いたします。個々人はもちろん、小教区やグループなどでの分かち合いにご活用ください。

ダウンロードはこちらから

お勧めの記事

中野裕明司教の紋章 1

鹿児島教区司教 中野裕明 「対話を通しての宣教」について 教区の皆さま、お元気でしょうか。 今回は「世界宣教の日」(10月20日)に因み、「対話を通しての宣教」についてお話しします。 さて、カトリック ...

中野裕明司教の紋章 2

鹿児島教区司教 中野裕明 「被造物を大切にする世界祈願日 すべてのいのちを守るための月間」について 教区の皆さま、お元気ですか。今回は日本の司教団が制定している「被造物を大切にする世界祈願日 すべての ...

中野裕明司教の紋章 3

8月15日は「太平洋戦争終結の日」であり、「聖フランシスコ・ザビエルによる日本へのキリスト教伝来」の日であり、「聖母被昇天の祭日」でもあります。これらの出来事において、「天の父の御心」が実現した日であることを感謝し、世界の紛争地に1日も早く平和が実現するように祈りましょう。

中野裕明司教の紋章 4

教皇フランシスコは、多くのキリスト信者の心を覆っていた「正義の神」、「裁く神」のイメージが「いつくしみ深い神」というイメージに転換することを強く望んでおられます。ミサの式文の中では祈りの冒頭に「いつくしみ深い神」が多用されていることに気づくのではないでしょうか。

中野裕明司教の紋章 5

6月は「イエスの聖心の月」です。イエスの心臓が茨の冠で拘束されながらも愛の炎を燃え上がらせているご絵を思い浮かべてください。このような熱い愛を、洗礼の恵みを私たちは受けているのです。

-教区シノドス関連
-

Copyright© カトリック鹿児島司教区 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.