「司祭を志す者は一歩前に出なさい。」
確かそんな呼びかけだったと思う。神学科に上がった6月だったか、剃髪式を受けるときの呼び出しへの答えは「アドゥスム!」。
少年サムエルが神殿で神さまに呼ばれた時の返事の言葉で「ここにいます」(サムエル上3・4)というラテン語。同級生5人が一列に並び、一人ずつ「アドゥスム!」の返事と共に一歩前に踏み出し、司教様から前髪を少し切ってもらってスータンを受ける。あの時の感動は今も忘れない。
簡単に頷くのは哲学生らしくないと、いつもハスに構え、理屈をこね回していた哲学課程の2年間。そして意気込んで臨んだ神学課程の最初の授業。「これが学問?!」あまりの手ごたえのなさに絶句したものだ。
そして、これまでとは180度違う雰囲気での神学のクラスが始まることになった。こうして迎えた2か月後の剃髪式。凛と響いた「一歩前に出なさい」という抗いがたい促しのことば。「アドゥスム!」の応答。「分かりました。もう何も言いません」。神様に兜を脱いで無抵抗を誓ったときだった。
「ボクの人生はこれで決まった。」確信のような思いが全身に満ちた。5人のうち2人は別の道を行くことになったが、大荒れに荒れた哲学時代と違って穏やかな毎日だったように思う。
その後、助祭、司祭と二つの叙階式にも同じ問いかけと応答がなされた。しかし、いずれの場合の「アドゥスム!」にも初回ほどの感動はなかった。むしろ、司祭叙階式当日、あの聖心教会に溢れるほどの参列者に圧倒されたものだ。
28日、ついに貴島君がマニラで助祭に上げられる。6年にわたる外国での長い神学校生活をよくぞ耐えたと思う。どんな思いで「アドゥスム!」を言うのか。司祭叙階への最終ステージに臨む彼のためにたくさん祈って欲しい。