小さな峠を越えたところには侍者仲間の同級生が3人もいたので、放課後、よく遊びに行ったものだ。そのうちの一人は叔父さんの家と隣合わせで、裏には段々畑があり、サトウキビやイモが植えてあった。奄美では、自生の白ユリをどこでも目にすることができるのだが、友人の叔父さんの芋畑も例外ではなく、季節になると芋づるの間から白ユリが咲きだすのだった。
誰に頼まれたのか記憶にないが、ある時友人と連れ立ってユリの花をとりに出かけた。一抱えもとって帰ろうとした時だった。
「こらっ、そのユリどうするんだ!」顔を上げると怖い顔の叔父さんが庭先からにらんでいた。「教会に…」どぎまぎしながら答えた。信者の叔父さんだけに、教会という言葉に反応された。
「あー教会。日曜日ワシが持っていこうと思っていたのだが…。」
振り上げたこぶしの始末に困っておられたようだったが、せっかくマリア様に喜んでもらおうと思ったのに、横取りされたようで悔しかったのかもしれない。子ども心にも申し訳ない気持ちになってスゴスゴと芋畑を後にした。
あれから60年。すでに住む人もなく、芋畑も樹木に覆われているに違いない。
ところで、聖書の植物の庭ではアーモンドの実が大きさを増し、オリーブの花も満開。幹だけだったブドウもツルが伸び、葉も青さを増している。そして、マリア様を覆うように咲いていた黄色の可愛いモッコウバラに代わって白ユリが出番を待っている。
ここを訪れる人々が聖母の執り成しで信仰の花を咲かせるといいのだが。