「とりわけ司教たちの役割は、信心業については、これを奨励し、司牧上積極的な態度で臨み、信心業の成果がキリストの民の信仰を保つうえで大きな価値があったこと、またあることを評価することにある。」
この文章は2010年の全国典礼担当者会議で、典礼学者のフランコ・ソットコルノラ神父様が紹介されたもので、2001年12月17日、典礼秘跡省から出された指針「民間信心と典礼」の一節。
ともあれ、自分の思い込みではないことがはっきりしてホッとしただけでなく、心強い味方を得たようで嬉しくなりました。神父様の話は次のような文章で締めくくられていました。
「典礼は教会生活の中心です。けれども、花は種だけで生きているのではなく、花びらや葉も広げて生きることを思い出しましょう。信心業は心の花びらです。心が自由に表現される場なのです。信心業は、日々の生活の中で、司祭が不在の場合であっても、信者を生き生きとさせることができるのです。」
典礼が花なら「信心業は心の花びら」。なんと美しい表現かとこれまた嬉しくなりました。最高の典礼であるミサという花を美しく咲かせるためには花びらや葉といったいろいろの信心業が生き生きしていなければなりません。
6月はみ心の月と呼ばれています。啓示を受けた一人の少女から始まった文字通りの民間信心が「イエスのみ心」の祭日として教会全体で祝われるようになりました。ですから、今月は、「民間信心月間」として、これまで以上にロザリオはもちろん「ノベナの祈り」や聖体礼拝、その他の信心業に励んでほしいと思います。