先月、4年ぶりに古い付き合いのタイの友人ワット神父さんを訪問した。彼は、タイの東北、メコン川のほとりに立つと正面にラオスが間近に見える国境の教区で信徒総数5万4千のターレ大司教区の司祭で、現在、信徒数2600人の小教区の主任司祭。ちなみに、最大の小教区は彼の出身地であるターレで信徒数1万5千、住民全員が信者。
それはともかくとして、今回初めて聞いたことだが、この教区では10年前に始めた基礎共同体運動が活発で10家族を1グループとして月一回の集会を欠かさないという。基本的には信者だけの集まりだが、信者でない家族がいたら一緒に参加し受洗にいたるケースも多いという。
もちろん子供達も全員参加。信者がお互いに離れて住んでいる都会では難しいそうで、実際にバンコクではうまくいってない。実際に機能しているターレ大司教区の例はいろんな場面での信徒養成の好例として参考になるかもしれない。特に中高生の黙想会にはいいかもしれないと思ったので少し紹介したい。
開会の聖歌と初めの祈りはどの集まりにも共通するとして注目すべきは「物語の時間」。教訓的な例え話であったり、時には実際の体験談も語られる。司会者は参加者に感想を聞き、何がメッセージだったかを話し合う。次に、語られた物語に見合う聖書が読まれ、印象に残った箇所を分かち合う。印象に残った理由も話してもらう。そして、とりなしの祈りが続く。
特徴的なのはミサの奉仕や病人訪問、貧しい人のため何ができるかを各自に問うこと。中高生がこうした質問にどこまで対応できるかわからないが、黙想会が勉強会に終わることなく、信者としての積極的な生き方を促すことになるという点では有効かもしれない。
タイ東北は出稼ぎの多い貧しいところだと聞いたことがあるが、生き生きとした信者たちの前向きな姿が彷彿として、仏教国に生きる信者たちのたくましさが思われた。ワット神父さんの兄弟たちは、多くが米農家でそれほど豊かではないが、あっけらかんとして明るいのも頷ける。いつか読んだ本の真似ではないが、幸福度ランキングは世界でも上位の方なのかもしれない。