キリストの福音上陸の地・鹿児島

聖母月の思い出は、奄美に自生するテッポウユリとともに

投稿日:

「若草もゆる 春の野辺に 一もと咲けるその白百合…」
五月に「春の野辺」という歌詞は日本ではそぐわないが、五月というのは、あちらでは寒い冬が終わって、眠っていた自然界が一斉に芽吹く春。一年で一番美しい花の季節なのだという。そういうわけで、五月こそマリア様にふさわしいということで聖母月。なるほどと思う。

ところで、聖母月といえば忘れることのできない思い出がある。五月といえば奄美の山野では自生のテッポウユリが咲きだす季節。侍者仲間と畑の境界線沿いに咲いている白百合を一抱えも採って教会に帰ろうとしたときだ。「誰だ、人の畑からユリを盗るのは?」突然目の前に畑の持ち主がヌッとあらわれて度肝を抜かれた。

「教会に…」恐る恐る答えると「あ、教会…ならいい。」信者の叔父さんだったのが幸いして放免された。教会では掃除当番のおばさんたちが喜んで受け取り、マリア様の前に飾ったのは言うまでもない。なんだか誇らしい感じがしたのも心に残っている。

こんな昔の話を書きながら、ふと、聖母月と聞いて、今の子供たちは何を思い出すのだろうと思った。そして、先月の奄美での合同復活祭のミサが思い起こされた。あの時、侍者を務めたり聖書朗読に駆り出された子供たち、それにミサ後のゲームや綱引きで大活躍した白百合の寮の子供たちが数十年たって「復活祭」と聞いたとき、あの時のことが応援の声とともに蘇ってくるに違いない。マリア様や教会につながるこうした思い出は尊い。

班集会にしても復活祭の遠足にしても簡略化が進んでいるのは自然の流れだとしても、何とか子どものための思い出作りをしてほしいと思う。教会に子供が一人しかいないとしても、その友達を複数招いて、信者でなくても天使の服装をした花撒き娘や担ぎ手を大勢集めての小教区レベルの聖母行列ができたら素晴らしい。これも将来を見据えた新しい福音宣教と言える。子どもたちにとって思い出に残る聖母月であるよう祈りたい。

  • B!

お勧めの記事

1

鹿児島教区司教 中野裕明 「対話を通しての宣教」について 教区の皆さま、お元気でしょうか。 今回は「世界宣教の日」(10月20日)に因み、「対話を通しての宣教」についてお話しします。 さて、カトリック …

2

鹿児島教区司教 中野裕明 「被造物を大切にする世界祈願日 すべてのいのちを守るための月間」について 教区の皆さま、お元気ですか。今回は日本の司教団が制定している「被造物を大切にする世界祈願日 すべての …

3

8月15日は「太平洋戦争終結の日」であり、「聖フランシスコ・ザビエルによる日本へのキリスト教伝来」の日であり、「聖母被昇天の祭日」でもあります。これらの出来事において、「天の父の御心」が実現した日であることを感謝し、世界の紛争地に1日も早く平和が実現するように祈りましょう。

4

教皇フランシスコは、多くのキリスト信者の心を覆っていた「正義の神」、「裁く神」のイメージが「いつくしみ深い神」というイメージに転換することを強く望んでおられます。ミサの式文の中では祈りの冒頭に「いつくしみ深い神」が多用されていることに気づくのではないでしょうか。

5

6月は「イエスの聖心の月」です。イエスの心臓が茨の冠で拘束されながらも愛の炎を燃え上がらせているご絵を思い浮かべてください。このような熱い愛を、洗礼の恵みを私たちは受けているのです。