司教の手紙

司教の手紙 ㉘ 社会の最小共同体としての家庭

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教区の皆さま、お元気でしょうか。今回も家庭についてお話したいと思います。

家庭は「社会の細胞」⇒ 教会の伝統的考え

教会は伝統的に家庭を「社会の細胞」という風に理解しています。その訳は、多くの家庭が同じ問題を抱えているとそれは社会問題に発展するし、社会に問題が起こるとそれは家庭にダメージを与えるということになるからです。例えば、家庭内暴力が多発すると、それは社会問題し、自然災害や戦争勃発、また経済不況などでも家庭はダメージを受けます。このように身体とその細胞の関係のように、両者は密接につながっているという理解です。それにはともに共同体であるという共通認識があります。

ところで、古典的な社会学では、社会の共同体と家族共同体を区別する考え方があります。つまり、会社組織の共同体(ゲゼルシャフト)と、家族共同体(ゲマインシャフト)の違いです。前者は利益追求の共同体で、後者は家族の幸せを追求する共同体のことです。この理解の仕方は、それぞれの共同体が追求すべき目的がなんであるかを自覚することに役立ちます。

家庭とは、家族が共に暮らす共同体

さらに、「家族」と「家庭」の違いについても言及したいと思います。まず、家族とは血縁関係によって成り立つものです。そうすると、家庭とは、家族が共に暮らす共同体である、と言えると思います。

しかし、必ずしもお互いの血の繋がりがなくても、家族のように暮らしている家庭もあります。ペットを飼って家族の一員であると認めていたり、養子縁組であったり、養護施設のグループホームのような「家庭」もあります。また、数年前に話題になった映画「万引き家族」のような共同体もあり得ます。厳密にいえば、夫婦は元来、血の繋がりはなかった者同士でした。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」(創世記2・24)。教会は伝統的に、この文言は「結婚」のことを指しているのだと解釈しています。(マルコ10・6~8、エフェソ5・31~32参照)。

神のみ旨として制定された「結婚」

つまり、神は天地創造の最後に結婚を神のみ旨として制定なさったのです。「男は、父母を離れて」この文章は、論理的に矛盾しています。つまり、男は神から造られた最初の人間のはずなのに、突然、父母が出てくるのはどういう訳でしょう。

これは生物学的な問題ではなく、制度としての神の意志だと解釈できます。「女と結ばれる」は肉体的に結ばれる、という意味です。こうして子孫が生まれます。「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ』」(創世記1・28)という神のみ旨の実現です。

「二人は一体である」この言葉は意味深いです。はじめは、人間として造られたが後で、男と女に分けられ、そしてまた、一つになります。性差(ジェンダー)や身分や能力や性格の違いがありながら、二人は一体となるのです。

教会の夫婦仲のよさそうなあるご婦人に尋ねたことがあります。「ご主人とは一心一体ですか?」と…。その方は即答しました。「違います。二心二体です」と。

「二人は一体」となるというのは「ついに、これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(創世記2・23)と人(アダム)が叫んだように、それが実現するのは「ついに、これこそ」、つまり人生の最終時点で、この特定の人と一つになるのかもしれません。

Family ⇒ Father and Mother I Love You

最後に「家族がいても家庭がない」という現実を克服するために、家族の意味を英語から学びましょう。

家族は英語で「Family」と言います。その意味は、Father(父さん)、and(と)、Mother(母さん)、I(私)、Love(愛する)、You(あなた)ということになります。

ご家族の上に神の豊かな祝福がありますように。

鹿児島カトリック教区報2021年6月号から転載

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