司教の手紙

司教の手紙⑧---主日のミサは信仰生活の源泉であり頂点

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みなさん、お元気ですか?
今回は、教区代表者会議のテーマである「教会の3つの柱」のうち第2番目の柱についてお話しします。第2番目の柱のキーワード(鍵となる言葉)は「交わりと一致」です。

「人と人」、「神と人」の交わりと一致

交わりと一致は人と人、神と人の交わりを指し、それは、私たちが捧げるミサにおいて見事に実現しています。洗礼を受けて教会の一員となった信者は、神学的表現では、キリストの肢体の一部なのです。聖パウロは言います、「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ、12章27節)と。

したがって、神の民の共同体が捧げるこのミサは、キリストの体の行為であるといえるのです。さらに教会は、いろんな表現で、このミサの大切さを強調しています。例えば「(ミサは)キリスト教生活全体の泉であり頂点です。諸秘跡も、また同様にすべての教会的役務も使徒職の仕事も、すべては聖体祭儀(ミサ)と結ばれ、これに秩序づけられています。

教会の富はすべてミサの中に含まれる

事実、最も尊い聖体祭儀(ミサ)の中に教会の富のすべて、すなわち、わたしたちの過越しであり生けるパンであるキリストご自身が含まれています。」(カトリック教会のカテキズム1324番)さらに「神の生命への交わりと神の民の一致とによって教会が存在するのであって、聖体祭儀(ミサ)はキリストにおいて世を聖とされる神の働きの頂点であり、さらに、人々がキリストを捧げ、またキリストにより聖霊において御父にささげる礼拝祭儀の頂点です」(同上1325番)。

「源泉と頂点」とは「始めと終わり」

ところで「信仰生活の源泉と頂点」を私なりに平たく説明してみたいと思います。この源泉と頂点を「初めと終わり」という表現に置き換え、それに「交わりと一致」を重ねて考察すれば「結婚と葬式」に当てはめて考えることができます。人にとって人生の始まりは生命の誕生ですが、それは夫婦の交わりと一致から始まり、葬儀は神と人との交わりと一致を実現しているし、それを祈念していると言えます。信仰を持つ者にとって、結婚式も葬式もミサの中で行われるし、それを望みます。それは言うまでもなく、神と人が結ばれ、また、人と人が結ばれる事を祈願し、それを実現させるためです。そこに人間の最高の幸せがあります。

生活リズムが主日のミサ中心となりますように!

最後に、これまで述べてきたように「交わりと一致」こそが、私たち信仰者の幸せの原点と考えますが、人間の社会でこれを実現させることがいかに困難であるかについては、皆さん方が自覚しておられるとおりです。夫婦間の不和、親子間の不和、人種間の不和、国家間の不和等。さらに、私たちは主日のミサへの参加を妨げる様々な社会の要因にも囲まれています。例えば、日曜出勤、親族の介護、地域の行事参加、週末の興行等。

私たちの生活のリズムが「主日のミサ」中心のものとなり、私たちの人生が主イエス・キリストとともに歩む旅路でありますように。

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