司教の手紙

司教の手紙 ㉙ 家族の中の親子関係

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教区の皆さま、お元気でしょうか。
今回は家族の中の親子関係についてお話したいと思います。

一組の男女が結婚して夫婦になります。その夫婦に子どもが生まれるとその子どもに対して、夫婦は親になります。つまり、夫婦に親としての新しい使命と責任(法律上の権利と義務)が生じるわけです。そうすると、親は子どもに対して、自分は親である、というよりも、親になったという方が正確な表現であります。

聖書では親子関係を軸に歴史が展開

聖書の世界はいわばこの親子関係が軸となって歴史(物語)が展開していきます。つまり、アブラハムとイサク、イサクとヤコブ、ヤコブと12人の子どもたち(創世記12~50章参照)といった具合です。イエスの場合も、アブラハムから養父のヨゼフまでの系図が記されています(マタイ1・1~17参照)。聖書の民(イスラエル人)にとって系図はとても大事だったことが分かります。

ところで、イエスは結婚して、子どもを残すということはしなかったので血縁は途絶えてしまいました。イエスはこの点をどのように考えていたのでしょうか。これから、イエスと天の父との関係をお話していきます。

30歳を過ぎてからイエスはヨルダン川で洗礼者ヨハネの洗礼を受けます。その折、天が開き、聖霊が鳩のようにイエスの頭上に降りて、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタイ3・17)という声が天から聞こえました。これは天の父による、イエスに対する、「子」としての認証であると言えます。それから、イエスは、父から委ねられた福音宣教の使命を果たし始められます。

イエスは天の父との繋がりを生きた

宣教生活中のイエスの説教の中心テーマは、あなたが信じ、嘆願している神様は、あなた方のお父さんである、という点でした。そして、「天におられるわたしたちの父」と呼びかける、「主の祈りを」授けられるのです(マタイ6章参照)。当時のユダヤ教の指導者に対しては、「地上の者を『父』と呼んではならない。あなた方の父は天の父おひとりだ」(マタイ23・9)と断言します。さらに、逮捕目前にしていたゲッセマニの園での祈りでは、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせて下さい」(マタイ26・39)と祈り、十字架上で息を引き取る時には「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23・46)と大声で叫びました。

このように、イエスの地上での生活では、天の父との繋がりが明確に示され、それなしには、十字架による死と復活という人類の罪の贖いのわざは実現できなかったとも言えます。イエスはその人生を徹底的に天の御父との対話と、その繋がりを生きた人だったと言えます。換言すれば、天の父に対する「子」としての生き方を私たちに教授して下さったのだと言えます。

イエスに倣い天の父のみ旨を求めて

私たち人間はこの地上で「子」として育てられ、やがて、大人になって、今度は、親として「子」を育てます。子ども時代の自分と、親となった自分とは、その心構えは多いに異なります。しかし、神に対する私たち人間の姿勢は、あくまでも「子」なのです。洗礼を受けて、神の子どもにしていただいた私たちはイエスのように生涯を天の父のみ旨を求め、それを果たしていけるように「子」として、全力を尽くさなければなりません。

それと同時に、親になった私たちは、天の父から授かった使命として、子どもを愛し、保護しなければなければなりません。イエスは言っています。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5・48)。また、「あなたがたの父が憐み深いように、あなたがたも憐み深い者となりなさい」(ルカ6・36)。

「完全なかた」(マタイ)、「憐み深いかた」(ルカ)という表現は、それぞれ天の父の異なる面を表しています。つまり、剛毅な面と優しい面を持つ「天の父の性格」であるということが言えます。

また、この文言は、「敵をも愛せよ」というイエスの説教の主題の結論として用いられています。すなわち、敵をも含むすべての人をご自分の愛の対象にしているのが天の父であるのに対して、それを模倣するように言われている「あなたがたは」とは、全人類を愛する博愛主義者たれ、というよりも自分の配下にある子どもたちを愛する人たち、まさに家長である親御さんたちのことではないでしょうか。

鹿児島カトリック教区報2021年7月号から転載

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