司教の手紙

《2024年 年間目標》洗礼の恵みに気づき、それを生きよう(2)

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中野裕明鹿児島司教

中野裕明鹿児島司教

鹿児島教区司教 中野裕明

教区の皆さま、お元気でしょうか。
今回は洗礼の恵みについてお話します。イエスは宣教活動を始めるに当たって、洗礼者ヨハネから洗礼を受けていたことは周知のとおりです。(マタイ3・13~17参照)

神の子であるイエスにとって、本来なら受ける必要のない洗礼ですが、「今は止めないでほしい、正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」と言われ、洗礼者ヨハネの断りの弁を制しました。(同上、14~15節)

つまり、イエスはヨハネの洗礼は人間にとって、正しく、ふさわしいことであるとの認証を与えたと解釈できます。従って、私たちは、洗礼者ヨハネの洗礼の意味とイエスによる洗礼の内実を検証していきたいと思います。

旧約時代の最後の預言者と称されるヨハネは、イエスに洗礼を授けた人なので「洗礼者ヨハネ」と呼ばれ、また、イエスの到来の前触れとして登場しているので、「先駆者ヨハネ」と呼ばれて尊ばれています。典礼暦でも「洗礼者ヨハネの誕生」(祭日・6月24日)と「洗礼者聖ヨハネの殉教」(記念日・8月29日)に祝われています。

イエスの「誕生」と「復活」の記念に比べて、あまり目立ちませんが、それでも、太陽とその光を反映する月のような関係性を感じます。

さて、洗礼者ヨハネの洗礼に話を戻します。彼のメッセージの中心は、モーセの律法に立ち返れ、というものでした。

「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、『悔い改めよ、天の国は近づいた』と言った。」(マタイ3・1~12、マルコ1・1~8、ルカ3・1~9、ヨハネ1・19~28参照)

ここで注意したいのは、2024年前にイエスが誕生したので、旧約時代は過ぎ去った過去の出来事と考えがちなところです。時間を数える西暦は、確かにイエスの誕生の年を起点としますが、聖書に描かれている時間は、神の時間なのです。

新約聖書の原語はギリシャ語で、過ぎ去る時間のことをクロノス、過ぎ去らない永遠に今である、いわゆる「とき」のことをカイロスと表記します。従って旧約の時代の最後の預言者ヨハネは、カイロスの人と考えるべきです。つまり、人類が人祖アダムの罪(原罪)から解放されていない状態の人々に向けられたメッセージであるという事です。

神のみ旨に沿えなくて、楽園を追放された人類を、再びご自分の元に引き寄せるために、あるいは、創造のわざを本来の姿に戻すために、神はアブラハムを召し出し、その子孫にモーセを通して「十戒」を授与し、それに基づいて、部族を束ね、イスラエルという国家を建立(紀元前1000年)するに至りました。

それからも紆余屈折があり、とうとう神が人間になって、寄り添って生きる態勢になるまでの経緯を私たち教会は、「神の救いの計画」と呼んでいます。

これは、戦争によって織りなされる人類の歴史とは本質的に異なるものです。そして、神の救いの計画が目指しているものが、イエスが提唱し、その実現のために、ご自分のいのちを捧げた、「神の国の建設」なのです。

それは、死後の世界の事ではなく、戦争まみれの人類の歴史の中で、燦然と輝く、神の支配、すなわち、罪と死に勝利する国のことです。

ここまで、話が進むと、自ずから洗礼者ヨハネの言葉が胸に響くのではないでしょうか。つまり、彼は、モーセの律法、つまり「十戒」に立ち返るように呼びかけました。

ここで、神の「十戒」をおさらいしましょう。聖書の原文では、出エジプト記(20・2~17)と申命記(5・6~21)にあります。ここでは、カトリック教会のカテキズム(要約)に従って紹介します。

カテキズム用の文言

わたしはあなたの主なる神である。
(1)わたしのほかに神があってはならない。
(2)あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
(3)主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
(4)あなたの父母を敬え。
(5)殺してはならない。
(6)姦淫してはならない。
(7)盗んではならない。
(8)隣人に対して、偽証してはならない。
(9)隣人の妻を欲してはならない。
(10)隣人の財産を欲してはならない。

2024年は年初めから、天災や人災による甚大な被害が報道されています。実際それらの災害は、わが身に及んではいないかもしれませんが、精神的ダメージがあります。困難や、苦悩の中にいる状態を、聖書は闇に例えます。(ヨハネ1・6~18参照)

このような闇の中を歩む民であっても、「神の十戒」の教えから離れた生活をしてよいとは誰も言ってはいません。人祖アダムの罪(原罪)の傷を負った人類は、あるいは、洗礼によって、原罪から解放された信者であっても、自分の責任で犯す神の十戒への違反は神から赦される必要があります。そうしないと、その人は一生、自己矛盾の中で苦しむことになります。根本的な真理に背を向けて歩いているからです。

「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の許しを得させるために、悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方と、エルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から、洗礼を受けた。」(マルコ1・4~5)。

良い四旬節をお送りください。

鹿児島カトリック教区報2024年2月号から転載

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