司教の手紙

《2024年 年間目標》洗礼の恵みに気づき、それを生きよう(3)

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中野裕明鹿児島司教

中野裕明鹿児島司教

鹿児島教区司教 中野裕明

「天の父の子であることの自覚」について

教区の皆さま、お元気でしょうか。

今回は「天の父の子であることの自覚」についてお話しします。

前回は洗礼者ヨハネの洗礼についてお話ししましたが、今回は「イエスの名による洗礼についてお話しします。

聖霊が使徒たちの上に降った後、ペトロは民衆に向かって「先日、エルサレムで十字架刑にあったナザレのイエスこそ、預言者たちが語っていた来たるべき救い主である」ことを声を張り上げて話したところ、「人々は、これを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として、聖霊を受けます。』」(使徒言行録2・37~38)

これで分かるのは、洗礼者ヨハネの洗礼は、彼自身が授けるものでしたが、イエスの名による洗礼は、イエス自身ではなく、イエスが選び、聖霊を受けた使徒たちによって授けられるものだという事です。

これは聖霊によるもので、洗礼者ヨハネの「悔い改めのしるしとしての洗礼」とは区別されます。(マタイ3・1~12、マルコ1・1~8、ルカ3・15~17、ヨハネ1・19~28参照)

では、「聖霊による洗礼」とはどのようなものでしょうか。

先ず端的に言って、聖霊は神の霊ですが、イエスの誕生から十字架上での死に至る時まではイエスの中に籠っていました。イエス自身、聖霊のことを、自分の弁護者であると弟子たちに紹介しています(ヨハネ14・15~31参照)。自分がこの世からいなくならないと聖霊は来ないのです。聖霊は復活したイエスによって使徒たちに与えられました(ヨハネ20・19~23参照)。その特徴は、罪のゆるしです。

「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハネ20・22~23)

イエスのこの言葉の前段も非常に大切です。

すなわち、「『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。」(同上21節)

この場面に立ち会った弟子たちは、このとき何を感じ取ったのでしょうか。

彼らは、師であるイエスが捕らえられ殺されたので、次は自分たちの番だと思い、「ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」(同上19節)のです。従って、復活したイエスが発した最初の言葉は、「平和」でした。

平和は安心の根源であり、師であるイエスを見捨てた弟子たちへの和解のことばでした。さらに、彼らに息を吹きかける仕草は、創世記にある最初の人間の創造の場面(創世記2・7)を思い出させるものです。これは最初の人間が命の与え主である創造主との絆を断ったことにより、罪と死の谷間を彷徨ようになった人間の再生を意味しています。ある人はそれを第2の創造と命名しています。

ところで、キリスト教信仰の核心は、言うまでもなく「イエスの復活」です。なぜかというと、イエスの復活によって、天地万物の創造主である全能の神の全容が明らかになったからです。

ただ今回は、イエスの発したメッセージ(福音)から洗礼の恵みについて考えていきましょう。

約3年間の地上での宣教活動で発信されたイエスのメッセージの主旨はただ一つ、それは「あなたたちが信じ礼拝している神は、わたしの父であり、また、あなたたちのお父さんである」ということです。

実はこのことを強調しすぎたために、ユダヤ教の指導者たちから睨まれ、ついには殺される羽目になったと言えます。(ヨハネ5・16~18参照)

つまりイエスは命を懸けて、このことを私たちに告げたかったのです。福音書を一読すれば分かることですが、イエスの説教はほとんどが、天の父についてです。勿論、天の父は肉眼では見えませんが、生けるものを養っておられる方(マタイ6・25~34参照)だけではなく、「隠れたことを見ておられる父」であり、私たちの隠れた行いを見て「報いてくださる」(マタイ6・4参照)のです。

極めつけは「主の祈り」です。祈り方を求められたイエスが教えてくださったこの祈りは、ご存じのように「天におられるわたしたちの父よ」で始まります。このように、イエスの願いは、私たち人間が、イエスと天の父との密接な関係の中に入ることなのです。それはご自分が子として、天の父からいかにに愛されているかを伝えたいからなのです。それは、洗礼者ヨハネの洗礼を受けた後の出来事から分かります。

「そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように、御自分の上に降って来るのをご覧になった。そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた。」(マタイ3・16~17)

これは、イエスが我が子であるとの、天の父の認証なのです。

イエスの側からすれば、ご自分が、「天の父の子であることの自覚である」と言えます。このような自覚を、洗礼を受けた私たちも共有できたら良いと思います。

鹿児島カトリック教区報2024年3月号から転載

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