鹿児島教区司教 中野裕明
「聖年」について
教皇フランシスコは、今年の主の昇天の祭日に2025年の「聖年」公布の大勅書『希望は欺かない』を発表しました。それで今回は「聖年」についてお話しします。
「聖年」とは何ですか?
聖年とは1300年に教皇ボニファチウス8世によって始められたカトリック教会の一大イベントです。
「聖年」の根拠は何ですか?
聖年の根拠は旧約聖書のレビ記にあります。
「あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である」(レビ記25・8〜10)。
このヨベルの年の内容を教皇は聖年として引き継いだのだと言えます。
「聖年」の意義
ヨベルの年の内容(レビ記25章参照)に沿いながら、教皇は、その意義をイエスのことばに根拠を置いています。
すなわち、「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(ルカ4・18〜19)と話したのち、イエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(同上
21節)と宣言しました。ここに「聖年」の意義があります。
「聖年」の恵みは何ですか?
それは「免償」にあります。免償とは、私たちが過去に犯した罪がゆるされ、その償いが免除されることです。これは「ゆるしの秘跡」の内容を理解する必要があります。
「ゆるしの秘跡」という名称は実は、「和解の秘跡」(原語の直訳)と呼ばれています。この秘跡は、悔い改め、告白、罪のゆるし、償いの4つの要素から成り立っています(カトリック教会のカテキズム 要綱、296番〜312番参照)。したがって、聖年の期間に得られる主な恵みとは「ゆるしの秘跡」がもたらす恵みに他なりません。
教皇の大勅書は次のように言っています。
「秘跡による和解は、霊的機会であるだけでなく、それぞれの信仰の歩みにおける、決定的で本質的、かつ不可欠な一歩です。そこにおいて、主はわたしたちの罪を滅ぼし、わたしたちの心をいやし、わたしたちを起き上がらせて抱きしめ、その優しくいつくしみに満ちたみ顔を示してくださるのです。主によって和解させていただき、そのゆ
るしを深く味わうことこそ、神を知るいちばんの方法です。告白を放棄せずに、いやしと喜びの秘跡のすばらしさ、罪のゆるしのすばらしさを再発見しましょう。」(教皇フランシスコ 大勅書23番)
「聖年」のテーマは何ですか?
それは、「希望は欺かない」です。
私たちは皆、それぞれ希望を持っています。希望を持つということは、「今、不幸である」、「あるいは満足していない」ということの証でもあります。
希望の反対は絶望です。イエスの弟子たちもイエスが十字架にかけられ、墓に葬られたとき絶望しました。しかし復活のイエスが現れて下さってから、イエスを信じることができるようになりました。そして、聖霊を受けてから、信仰は確信となり、確かな希望を得て、死さえも恐れなくなりました。
このように私たちの希望は、神への信仰に基礎をおいています。そして、希望も信仰も、自分の力で得たものではなく、神からの恵みであることを知っています。
どのようにしたら、「聖年」の免償を得られますか?
基本的には、①ゆるしの秘跡を受け、②聖体拝領をし、③教皇の意向のために祈るです。
詳しいことは、2025年1月号でお話しします。よい降誕祭をお迎えください。