司教の手紙

教皇フランシスコの遺産

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教区の皆さま、お元気でしょうか。わたしたちは、今年の復活節に教皇フランシスコを失い、教皇レオ14世を頂きました。教会の胎動を感じる貴重な時間を過ごしています。

そこで今回は、忘れ去られそうになりがちな「教皇フランシスコの遺産」についてお話しします。話の視点は、教会内と教会外に対してです。

鹿児島教区司教・中野裕明

教会内に対して

故 教皇フランシスコ

故 教皇フランシスコ

教皇フランシスコは、第2バチカン公会議(1962〜1965)の決定を忠実に実践なさいました。それは2年にわたって開催されたシノドスのスタイルについて特に言えます。

シノドス(世界代表司教会議)は第2バチカン公会議後2〜3年ごとに開かれていた教皇の諮問会議です。15回までは、各国の司教協議会からの代表がローマで議論し、教皇への提言をまとめていました。その後教皇は、その提言を基にして、「使徒的勧告」という文書を発布して、シノドスの結論にしていました。

ところが、教皇フランシスコは、信徒一人ひとりの声を吸い上げ、教区ごと、国ごと、地域ごとにまとめ、最後のローマでの最終会議には、各国の代表として司教、司祭、奉献生活者、信徒を参加させました。しかもその会議は2年にわたりました。

このやり方は別として、その教義学上の根拠は、『教会憲章』第2章「神の民について」12番にあります。「神の聖なる民は、キリストが果たした預言職にも参加する。(中略)聖なる方から油を注がれた信者の総体は信仰において誤ることができない。この特性は、『司教をはじめとしてすべての信徒を含む』信者の総体が、信仰と道徳のことがらについて全面的に賛同するとき、神の民全体の超自然的な信仰の感覚を通して現れる。(中略)聖なる民は、聖なる教導職の指導のもと、これに忠実に従い、もはや人間のことばではなく、真に神のことばを受け入れる」。

この第2章「神の民について」が第3章「教会の位階的構成、とくに司教職について」の後にではなく、その前に置かれていることは注目すべき点です。それは、教会に巣くう聖職者中心主義の緩和に役立っていると思います。

ただ注意すべきは、このようなシノドスのスタイルが、教会があたかも自由と民主主義を採用するようになったと誤解される恐れがある点です。公文書の意図はそうではありません。

教会外に対して

教皇は、回勅『ラウダート・シ∣ともに暮らす家を大切に』を2015年5月24日に発布なさいました。

この回勅の主旨は、被造界を大切にすることによって天地万物の創造主である神を賛美する、アシジのフランシスコの「太陽の賛歌」の精神を現代人に思い起こさせるという点にあったと思います。その意味で、科学技術の発展を肯定しながらも、それに溺れて開発を無限に進めることは創造主の意思に反し、人間の尊厳を失い、地球を破壊しかねないから気を付けるようにとの警告だったはずです。しかしその内容が同じ年の9月の国連総会で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)に援用されたような格好になり、神への信仰抜きの警告に格下げされてしまったのは残念でした。

すなわち、科学技術の発展に期待するあまり、回勅を丹念に読むことにより浮かび上がる人間の尊厳や創造主への依頼心といったことがらへの関心が薄まり、気候変動や地球環境問題を単なる科学技術や政治の問題として捉えられてしまったこと、また人間自体が内包している人祖アダムとエヴァの罪との関係という信仰上の議論がなかなか行われなかったことは残念なことです。

ただ、地球環境問題に教会を注目させたことは、19世紀以降、対立関係になっている科学と宗教(信仰)の相反関係に終止符を打ち、両者間に調和をもたらすよう促していると捉えることができます。

実際、教皇は回勅の中で、第2バチカン公会議以前、信仰上の危険思想として退けられていたテイヤール・ド・シャルダン神父(イエズス会士 古生物学者 思想家 1881〜1955)の説を取り入れています。

まとめ

一般に、人の評価はその死後になされます。わたしは個人的に、教皇フランシスコは、キリストの福音に忠実であった聖なる教皇であったし、神学的にも間違ってはいなかったと思います。

鹿児島カトリック教区報2025年6月号から転載

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