司教の手紙

司教の手紙 ㊵ 「いのちの福音」について

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教区の皆さま、お元気でしょうか。

今月は聖ヨハネ・パウロ2世教皇の回勅「いのちの福音」の内容についてお話いたします。

聖ヨハネ・パウロⅡ教皇回勅「いのちの福音」

1995年に発布されたこの回勅は、声も出せない弱い立場に置かれている人間のいのちに関するものです。具体的には、人工妊娠中絶で葬りさられる胎児や自らの意志を提示できず、他者の手に委ねられる末期患者のいのちが、合法的に容認される社会ができつつあることへの警告を発する内容になっています。この主題を取り上げたのは、二つの理由があります。一つは日本の事情で、2000年7月13日、「優生保護法」が改訂され、「母体保護法」として、再施行されたことと、もう一つは、アメリカの事情で、今秋の大統領中間選挙の争点になっている、各州の人工妊娠中絶法の是非です。

ここでは胎児のいのちに限って述べたい

「いのちの福音」は神からいただいたすべての「人間のいのち」について、カトリック教会の教えを体系的に論述したものですが、私は、胎児のいのちに限り、論点だけをお話いたします。

まず「いのち」に関して基本的な考え方の違いがあります。「プロライフ」、「プロチョイス」の二つの主張です。「プロライフ(ProLife)は『いのちのため』」であり、「プロチョイス(ProChoice)は『自己決定のため』」という意味です。つまり、人工妊娠中絶について、前者は、胎児のいのちの権利を守ることを優先するのに対して、後者は、産むか産まないかは、母親自身の権利である、と主張しているわけです。

この二つの立場の違いを念頭において、カトリック教会の教えをお聞きください。

「殺してはならない」は無条件の絶対的命令

「主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2・7)。

天地万物の創造主である神は、動植物については、「地は、それぞれの生き物を生み出せ」(創世記1・20~25)と言っていますが、人間だけは、「神の息吹によって」人間になった、とされています。

「殺してはならない」(出エジプト20・13)これはご存じの通り、モーゼの十戒の5番目の掟です。この場合、殺してはいけないのは人間のいのちに限られます。なぜかというと、人間のいのちは両親を通して与えられますが、最初の人間は、神によって造られ、しかも神に似せて造られています。このことによって、子供のいのちは両親から得ますが、その人格は、両親とは別物で、神に向けて造られています。「人間の尊厳」の根拠はここにあります。現代風に言えば、人間の遺伝子は、他の動物とは違い、神の遺伝子に向けられているということです。「主なる神は言われた、『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある』」(創世記3・22)。神ご自身も人間の偉大さを認識しておられることが分かります。

「いのちの福音」は「殺してはならない」という、この否定形の命令に着目します。これは、「命を大切にしましょう」とか「いじめを無くしましょう」とかのキャンペーン用語ではなく、無条件の絶対的命令だと主張しています。そういえば、イエスもこの点については厳しい見解を示しています。

「すべての人のいのちは平等である」

「あなた方も聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は火の地獄に投げ込まれる。」(マタイ福音書5・21~22)

つまり、日常において他者を愚弄し、侮辱する思いや言葉も殺人罪に繋がっている、ということをイエスは主張していると言えます。

「すべての人のいのちは平等である」ということです。「天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)という事です。だとしたら、声を出せない胎児の代弁者となることが、大人のとるべき態度ではないでしょうか。

「神は女に向かって言われた。『お前のはらみの苦しみを大きなものとする。お前は苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する』」(創世記3・16)

これはエワが楽園から追放されたときに告げられた神の言葉です。女性には出産の苦しみが、男性には、労働の苦しみが課せられています。これらは、この世に住む人間の宿命だと受け止めざるを得ませんが、ただ、女性の場合、出産の苦しみ以外に、男はお前を支配する、という一言が付け加えられています。これは、「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」(創世記2・25)この意味は、人祖アダムとエワは夫婦で、しかも原初の状態では自らの弱点を相手にさらけ出してもそこを攻撃されないという、信頼関係があったことを意味しています。

しかし、神の言いつけを守れなかった結果、それが今は壊れてしまったということです。このような人祖アダムとエワの犯した罪(原罪)を負っている私たちは厳しい現実に置かれ、孤立している妊婦さんにとって、胎児を産むか産まないかの決定権を手に入れたい気持ちはよく分かります。

プロライフ運動に協力しましょう

最後に、日本で展開されているプロライフ運動を紹介します。この運動はカトリックだけではなく、宗派・信条を超えてなされている運動です。すでにご存じの方も多いと思います。詳しくは「生命尊重センター」を検索してください。そして、この運動に協力していきましょう。

鹿児島カトリック教区報2022年7月号から転載

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