司教の手紙

聖年に寄せて(5)「ともに歩む教会」づくり

投稿日:2025年7月1日 更新日:

中野裕明鹿児島司教

中野裕明 鹿児島司教

教区の皆さま、お元気でしょうか。教皇フランシスコの逝去後、わたしたちは新教皇として、レオ14世を頂きました。教皇は新任の短いあいさつの中で、前教皇が始めた「ともに歩む教会」の精神を継続する旨を表明なさいました。そこで今回は、だれがだれとともに歩むのか、そしてこの教会の本質と目的についてお話しします。先に教会の本質と目的についてです。

教会は聖霊降臨よって誕生しました。復活なさったイエスは御父とご自分の霊である聖霊を弟子たちに送り、新しい神の民を形成なさいました。この新しい民は旧約の民を根本的に変貌させ、神の国の証として立てられたのです。

キリストを王として抱くこの国は「真理と生命の国、聖性と恩恵の国、正義と愛の国」(「王であるキリスト」叙唱)として、教会の中に現存するように父なる神は望まれたのです。

この父なる神の望み、すなわち人類の救いの計画の具体的な実現の場所として、教会は建てられたのです。

新しく洗礼を受けた信者に対して、聖ペトロは次のように言っています。

「あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。」(ペトロの手紙一・2・3〜5)

西欧の教会の外観は石でできているので、キリストが隅の親石で、信者たちは積み上げられた石の一つひとつであるというイメージは容易に共有できます。

すなわち、教会に集う私たち信者は信仰の共同体であると同時に、見える教会-制度としての教会、土地や建物などこの世の財産の上に成り立つ教会|にも属しているのです。したがって例えば教会堂の維持の責任は、主任司祭や限られた役員さんたちだけのものではありません。所属する信者全員にあるのです。

さて、教会の目的についてですが、見えない神の国の実体を表している教会は、イエス・キリストが命じる愛の実践を継続することによって、人々の前で「真理と生命の国、聖性と恩恵の国、正義と愛の国」が存在することの証となっているのです。

この教会の目的を遂行するのが、司祭団と信者たちです。第二バチカン公会議によると、洗礼を受けた人は皆キリストの共通祭司職に参与し、神の民を形成します。この神の民の中から、秘跡の執行者となるために叙階の秘跡を受けた司祭団が出ます。

「ともに歩む教会」とは、正確にいえば、共通祭司職に与かる人たちと、叙階の秘跡を受けた人たちがともに支え合い、秘跡や祈りといった霊的ことがらや種々の司牧的イベント、ヒトやモノの経済的な維持管理の問題も含めて総括的に協力しながら教会を運営していくということになります。

鹿児島カトリック教区報2025年7月号から転載

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