司教の手紙

司教の手紙 ㊼ 四旬節の過ごし方

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復活祭を迎えるための四つの勧め

教区の皆さま、お元気でしょうか。

私たちは今、典礼暦の「四旬節」を過ごしています。そこで今回は四旬節の意味とその過ごし方についてお話します。

四旬節とは復活祭を準備する期間のことです。私たちの信仰の中心、あるいは核心は復活祭にあります。この世の罪と死を打ち砕き、勝利と永遠のいのちを私たちにもたらした、復活した主イエスに賛美と感謝をささげる最高の日だからです。

教会は復活祭に洗礼を希望する志願者のために四旬節を設けました。

それは洗礼志願者が復活祭に洗礼を受けて、神の子になる恵みを受けるためです。と同時に、すでに洗礼を受けている人も、この四旬節中、洗礼志願者の気持ちになって復活祭を迎える心構えをいたします。

回心すること(方向確認と転換)

さて、信者が四旬節中になすべきことは、回心です。この回心とは、自分が今向かっている方向を確認し、もし間違っていたら神様の方へ方向を変えることです。車で例えるなら目的地を明確にして、そこに照準を合わせることです。

回心の場合の「目的地」とは勿論人生の目的のことです。普通、人は目的とそれに至るための目標を設定します。ところが、しばしば、目標が目的になってしまうことがあります。

例えば、人生の目的は幸せになることだと考え、そのためにはお金を稼ぐことを目標にします。しかし、四旬節中に黙想をしないと、お金のために働くことが目的となっていることに気づきません。お金を稼いでも必ずしも幸せにはなりません。目的と目標は異なります。目標とはあくまでも目的に至るための手段に過ぎないのです。

誘惑を退けること

次に、信者が四旬節中になすべきことは、誘惑を退けることです。誘惑とは試みを受けることです。イエスも洗礼者ヨハネの洗礼を受けてから、荒れ野で悪魔の誘惑を受けられました(マタイ4・1~11参照)。

神の子であるイエスでさえ誘惑を受けられるのですから、この誘惑は強烈なものに違いありません。しかもこの悪魔は、聖書の言葉を引用しながら試みる訳なので、タチが悪いです。換言すれは相当高度な誘惑であると思います。

信者の中で「自分は悪魔の誘惑は何も感じない」と言う人があれば、その人はもう誘惑に負けている人ではないでしょうか。イエスは「主の祈り」の終わりのほうで「わたしたちを誘惑におちいらせず…」と祈るように教えています。

愛を実行すること

また、信者が四旬節中になすべきことは、愛を実行することです。

「『神を愛している』と言いながら、自分の兄弟を憎むなら、その人は嘘つきです。目に見える自分の兄弟を愛さない人は、目に見えない神を愛することはできません」(ヨハネ第1の手紙4・20)。

教会は四旬節になすべきこととして、犠牲と愛の実践を奨励しています。その言葉自体は正しいことですが、ただ「神を愛している」と言いながら内心では兄弟を憎む、という偽善者的な態度がいけません。なぜなら、「神は愛だからです」(同上8節)。

心すべきヘブライ書の言葉

最後に、信者が四旬節中に心すべきことは、ヘブライ書の次の言葉です。

「実に、神の言葉は生きていて、力があり、どんな両刃の剣よりも鋭く、魂と霊の、また、関節と骨髄の分かれ目まで刺し通し、心の思いや考えを見分けることができます。神の前には隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが、その目には裸であり、露(あら)わです。この神の前でわたしたちは総決算をしなければなりません」(ヘブライ人への手紙4・12~13)。

現在、世界には感染病のパンデミック後と継続中のロシア・ウクライナ紛争と、いわばミクロとマクロの世界について真偽不明な情報が攪乱しています。そんな中、普遍な価値を選択し、神の国の実現のために私たちの信仰を今一度見直していきたいものです。

鹿児島カトリック教区報2023年3月号から転載

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