司教の手紙

司教の手紙⑩---11月から中野アカデミーを開講

投稿日:

皆様、お元気でしょうか?

10月開催された「教区シノドス」を終え、私たちは新しい歩みを始めようとしています。また今月は38年ぶりに教皇様をお迎えし、日本の教会に新たな息吹をいただくことになります。

帰天した竹山神父の意向を継続したい思いに駆られ

そんな中、わたくし自身も司教叙階2年目に入ります。この節目に、鹿児島教区で51年間奉仕して下さった竹山神父様が天国に召されました。竹山神父様は、鹿児島教区のいわば屋台骨として働いてくださいました。仮通夜、本通夜、葬儀ミサには2階席も埋まるほどの会葬者がありました。神父様が生前いかに多くの人々と交わり、霊的きずなで結ばれていたかをうかがわせる光景でした。

派遣先として鹿児島市内から一度も出られたことのない神父様がこれほど多くの人に知られていた要因の一つは、毎年1週間ほどの日程で開催されていた「夏期集中講座」ではないかと思います。27年続いたこの講座には、毎回約100人が参加していました。信者さん方の信仰の養成をことのほか大事に考えていらした神父様でもありました。この神父様のご意向を継続したいという思いが私を駆り立てました。それで、考えたのが「中野アカデミー」開講です。

信仰の伝達と教育は司教の責務(教皇ヨハネ・パウロⅡ)

司教に向けての使徒的勧告に次の文章があります。「司教は、信仰の伝達と教育の分野における自分の責任を自覚しています。そうであるならば、司教は、自分の召命と使命から信仰を伝えるよう招かれた人々が、同じ心構えをもつように働きかけなければなりません。ここでいうのは、司祭と助祭、奉献生活を送る信徒、家庭における両親、司牧奉仕者、そして何よりもカテキスタといった人々です。また、神学や教会機関の諸学科の教員や、宗教教育に携わる教師についても同様です。それゆえ、司教はこうした人々の初期養成と継続養成の両方に気を配らなければなりません。」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告「神の民の牧者」29番)

開講の要項

開講に際しての具体的な要項は次の通りです。

  • 名 称:「中野アカデミー」(アカデミーとは古代ギリシャ時代に始まる学問振興のための学校。「教区」としないで「中野」としたのは、私個人の責任で始めた故)
  • 開講日:原則として毎週水曜日、19時~21時。(休講日は教区報に掲示。因みに11月20日は休講)。
  • 対 象:基本的には信者。但し、未洗者も歓迎)
  • 持参する物:「新旧約聖書」「カトリック教会のカテキズム 要約」
  • 参加費:1回500円

皆様、こぞってご参加ください。

お勧めの記事

中野裕明司教の紋章 1

約3年間の地上での宣教活動で発信されたイエスのメッセージの主旨はただ一つ、それは「あなたたちが信じ礼拝している神は、わたしの父であり、また、あなたたちのお父さんである」ということです。

中野裕明司教の紋章 2

人祖アダムの罪(原罪)の傷を負った人類は、あるいは、洗礼によって、原罪から解放された信者であっても、自分の責任で犯す神の十戒への違反は神から赦される必要があります。そうしないと、その人は一生、自己矛盾の中で苦しむことになります。

中野裕明司教の紋章 3

「幼児洗礼」と「成人洗礼」という二つの洗礼のかたちは、「親子愛」と「隣人愛」の関係で捉え直すことができるのではないかと思います。つまり、幼児洗礼を親子関係で、成人洗礼を隣人関係で捉えるという事です。

中野裕明司教の紋章 4

ミサでキリストの体をいただく信者は皆、キリストの体を形成している、という事です。1943年、教皇ピオ十二世は「キリストの神秘体」と題する回勅を発布し、当時の教会論の基礎に据えました。聖体拝領する信者はその度ごとにキリストを救い主とする信仰共同体を形成していくのです。

中野裕明司教の紋章 5

イエスの極めつけの言葉を送ります。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」(ヨハネ6・27)

-司教の手紙
-

Copyright© カトリック鹿児島司教区 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.