教区の皆さま、お元気でしょうか。今回は「聖母月に寄せて―神の望まれる家庭像―」についてお話ししたいと思います。
聖ヨゼフ年に相応しい「家庭」の考察
ご存じのように今年は、聖ヨゼフ年に指定されています。ヨゼフさまといえばマリアさまということで、この5月に夫婦によって始まる家庭について考察することは相応しいことだと思います。
教皇フランシスコは、去る3月19日の聖ヨセフの祝日に、一つのメッセージを発表しました。それは、その日にローマにあるラテラノ教会で開かれていた、ある集会の参加者に宛てたものでした。この集会は、聖ヨハネ・パウロ二世が創設した「家庭司牧研究所」(仮称)主催の集会でした。教皇はそのメッセージの中で、2022年6月に予定されている「世界家庭年」の催しへの準備として、使徒的勧告「愛のよろこび」(2016年3月)の内容をよく分かち合って欲しいというものでした。
ところで、この使徒的勧告という文書は、教皇が発布するものですが、その内容の基になっているのはシノドス(世界代表司教会議)で審議され、答申としてまとめられた提言集です。因みにこのシノドスは2回開かれていてそれぞれのテーマは「福音宣教との関連から見た家庭の司牧的問題」(2014年10月)と「教会と現代世界における家庭の召命と使命」(2015年10月)でした。
これまでの話で分かるように、カトリック教会は教会と家庭は密接な関係にあると捉えています。その理由について、今回から数回にわたりお話ししていきたいと思います。
聖書に記された夫婦、家庭をたどると…
今日、聖書全体には神の人類救済の歴史が記されている、というふうに理解されています。それは、戦争を繰り返す「人間の歴史」に対して、「神の救いの歴史」という捉え方です。ところで、この「歴史」と訳されている言葉のギリシャ語は“オイコノミア”ですが、英語になると“エコノミー”(経済)で、語源は“オイコス”(家)です。つまり、家計、あるいは「家を営む」という意味合いがあります。換言すれば、神は、人間が作る歴史の中で、どのように神の家族を営んできたのか、という意味になります。
天地創造で、人間を造り、男から女を造り、二人を一つにして夫婦にしましたが、二人は神の意に反したために恩寵を失い、楽園から追放されました。(創世記1~3章)。しかし神は、人祖の子孫を見捨てることなく、再びご自分の元に戻すために、アブラムを召し出して祝福し、家族と子孫の繁栄を約束します。(創世記12章1~3節)
爾後、アブラハム、イザク、ヤコブ、12部族(ヤコブの子供たち)、ダビデ、ソロモンと、約束の地、イスラエルで繁栄しました。つまり、家族から部族、そして国家へと成長発展していったのです。
しかしこの国家としての繁栄は長くは続きませんでした。強力な武器を持つ大国の侵略に対して、宗教国家でまともな武器を持たない、イスラエルの民は容易に植民地化され、祖国を奪われたのでした。紀元前530年頃、囚われの身から解放されたイスラエルの民は、祖国の再建にとりかかりました。そして、ローマ帝国の属州ではありましたが、一応自治が認められ、イスラエルのシンボルであった神殿も再興された頃、国家の完全独立を標榜するようになり、そのためのメシア(救世主:ギリシャ語ではキリスト)の到来を待ち望んでいました。
そのようなメシア待望の機運のイスラエルで、マリアはイエスをベツレヘムで生み、ナザレの町で育てたのでした。因みに、半年早くエリザベトは、洗礼者ヨハネを生んでいます。彼の父親はザカリアで神殿に仕える祭司でした。マリアは、ナザレという小さな町の庶民の子、一方エリザベトは、ユダヤ教の祭司の妻なので、社会的身分はマリアより上かもしれません。イエスは、名もない小さな家族の一員として、この世に生を受けたことになります。
マタイ福音書によると、イエス誕生の時、東方の3人の博士がユダヤの国に王が誕生したとしてヘロデ王の宮殿を訪ねたとの記録があります。人間の思いとは裏腹に、貧しくして生まれた神の子は、母マリアと養父ヨゼフの温かいぬくもりが必要だったのでしょう。
神の救いの計画は、家庭の中から始まると言っても過言ではないと思います。
鹿児島カトリック教区報2021年5月号から転載