司教の手紙

司教の手紙 ㊱ 心の中のウイルスに気をつけよう~四旬節メッセージ~

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教区の皆さま、お元気でしょうか。

今年の四旬節も新型コロナウイルス禍の中で過ごすことになりそうです。そこで今回はイエスの教えとウイルスについてお話します。

「ウイルス」という言葉が、マスコミで多用されるまで、私にとって、それはコンピューターウイルスの事でした。それが3年前からウイルスとは病原体の事であり、しかも、エピデミック(地域限定型)ではなく、パンデミック(全世界に及ぶ)と判明しました。これは1980年代の初めにWHO(世界保健機構)が天然痘の征服を宣言して以来のことでしたので、先進国では安心して暮らせるものと思っていました。

ところで、「コンピューターウイルス」と「病原体ウイルス」はいずれも人間に害を与えるものですが、いずれも外部から人間にやってくるものです。為政者や医療従事者を含む社会のリーダーの方々は、社会の安泰を取り戻すために懸命に尽力なさっています。この事について心から感謝申し上げます。

そこで、私たち信仰者は、イエスの教えに耳を傾けながら、どのようにしてこの難局を乗り越えて行ったらいいのかを分かち合いたいと思います。

イエスとファリサイ派の人々との対話の中で、次のような話があります。ある集まりで、イエスの弟子たちの中に汚れ手、つまり洗わない手で食事をする者がいました。するとファリサイ派の人が、それをたしなめて、次のように言いました。

「ユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある」。(マルコ7章3~4節)

これに対して、イエスは、「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」(同上15節)と答えています。

さらにこの教えを敷衍(ふえん)して、次のように言っています。

「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり、人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」と。(同上21~23節)

ファリサイ派の人たちは、モーセの律法にある「汚れ」の教えの実践に厳格な規定を設けて、それを遵守していたようですが、イエスの反論は、それは公衆衛生上の事柄にすぎず、「精神的」あるいは「道徳的」意味で解釈する必要があるのでは、との異議申し立てであると言えます。そして、イエスはこの様な当時の宗教指導者への異議申し立てによって、自分の立場が危うくなり、ついには十字架上での死を招くことになります。

ところで、この度のコロナ禍で教皇フランシスコは「無関心というウイルス」を克服しよう、と呼びかけています。

聖マザーテレサによると、「愛の反対の概念は、憎しみではなく、無関心である」と言っています。技術文明が進行し、その恩恵に浴している富裕層とそれから除外されている貧困層のとの経済格差があまりにもありすぎる点をお二人とも指摘なさっています。富裕層の人たちが、無関心というウイルスを克服し、貧困層に手を差し伸べてほしい、そういう思いがあふれている指摘でありますし、教会もその方向で進んでいくべきです。

ただ、その方向へ進むためには、私たち信者の一人ひとりの基本的な回心が求められると思います。

聖パウロは信者に対して、霊の道に従って歩むように勧めています。それはファリサイ派の人々の律法主義を超える生き方だと言います。

「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して、肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊が対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。」(ガラティアの信徒への手紙5章16~18節)

続いて、肉のわざと、霊のわざを次のように列挙しています。

肉のわざは、「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのもの」。(同上19~21節)

一方、霊の結ぶ実は、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」です。(同上22~23節)

社会悪は所詮、個人の罪の集合体であると言えます。この四旬節中、一人ひとりが聖霊に導かれることによって清められるように祈り合いたいものです。

鹿児島カトリック教区報2022年3月号から転載

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